『おジャ魔女どれみドッカ〜ン!』の再放送「どれみと魔女をやめた魔女」

本放送で観たときから、やけに引っかかる回で、以前『明日のナージャ』の第26話「フランシスの向こう側」の感想を記したとき細田守の名前を知り、今回前情報として、この再放送の回が彼の演出だと知った上で、観なおすことが出来た。
先ず、最初に観たときには余り気に留めていなかったのだが、「未来さん」の家に行くきっかけになりその後何度もこのエピソードの中で登場するロケーションであるY字路。これはもしかすると横尾忠則の「Y字路―暗夜光路」シリーズ*1の引用ではないどろうか。というか、観た瞬間に私はそれを想起した。
さらにこの前も気になった、アニメの世界が空間としての存在していることを主張する(擬似)キャメラワーク。このエピソードでは、鏡を使って(どれみが未来の鏡台に貼ってあるあまりにも多くの写真を発見するカット)それをやっている。鏡に正対したキャメラは、クレーンを使ってゆっくり上方にドリーしていく、その際、鏡にびっしりと張られた写真と写真の間からわずかに見えるどれみの姿がきっちりとした遠近感を伴った動きでずれ、見え隠れする。これは決して実写では実現不可能なショットである。鏡の前にキャメラを正対させたら、そこにはキャメラが映ってしまうのであるから。これは嫉妬すら覚える見事なショットである。
今回新たに気になったのは(前も台詞の多さという点で気にはなったが)音声の遠近感である。細田は遠近感を実直なまでに「リアル」に作り上げようとする欲望があるようだ。人物の声に非常にはっきりと遠近感をつけた演出をしている。例えば、どれみが家に帰って来たとき、ぽっぷと母親がピアノの練習していたというシーンでの、非常に奥行きのある音声の入れ方、まぁこの程度のことはほとんどのアニメでやっているだろうが、それが非常にはっきりと観る側として意識せざるを得ない。どれみと未来との会話においても、Y字路での友達との会話にしても、学校にしても、どこにしても同様にこの遠近感のつけ方そのものがこのエピソードにおけるどれみと未来、そのほかの友人たちとの距離感を端的に示している。(遠近感といっているがモノラルのテレビで私は観ているわけだし、擬似的な遠近感に過ぎないのだが)
あと、気になるのは細田が演出している回は、他の回と違って、子供であるキャラクターに妙に大人っぽい表情をさせるということ。まぁ、「大人の世界を垣間見る」みたいなエピソードからして、そういう要請があるのかもしれないが、逆にこういう表情をさせたいからこのようなエピソードにしているとも考えられる。
正直私は細田守の演出に参ってしまっている。

*1:横尾忠則は1〜2年前、Y字路(二又道)のシリーズを描いている。故郷・西脇の夜を写真に撮ったところ、Y字路に妙に気持ちが惹かれ、このシリーズが始まったという。『横尾流現代美術』の中で、「Y字路の先に何がありますか?」との問いに、「運命ですね。生と死があります。選択の問題です。楽な方を選ぶと死が待っていると思いますよ」と答えている。