河瀬直美『萌の朱雀』

え〜っと、はっきり言ってこの作品私は嫌いですね。
映像は「キレイ」なんですが、なんと言うかこの映画の視点というものが私にはあやふやというか、途中で失踪したお父さんの取ってきた8mmの映像とか、「素朴な」山林の風景とか、パーツパーツで見ると美しい映像が撮れていると思うんですね。で、これが予告編とかCMとかのダイジェストだと非常に琴線に触れるというか、「おおっ」と思うんですが、2時間弱の「作品」になるとどうもそうもいかない。監督の視点がはっきりと鬱陶しいまでに感じられる個所と、誰が撮ったんだか分からないような個所があり、それが全体の統一感を失わせているというか、一本の作品としてみることが私には困難でした。
それと、よく言われるキーワードの奈良。
「監督の出身地である奈良を舞台に」撮っているらしいのですが、彼女自身は団地暮らしだったようで。
なんと言うか極度に神聖化された「イメージとしての田舎」しか画面から感じ取れることが出来ないんですね。
私も中学生に上がるまでは母親の実家である小豆島に毎年夏休みに遊びに行ってたわけですが、ああいうところってよそから見るのと実際に住むのとはわけが違うと思います。2・3日もすれば飽きるし、周りに遊ぶ「場所」どころか遊ぶ「人」も居なかったな。というのが私の印象で、多分人はいたのでしょうが、私が滞在していた「世界」というか「視界」には入ってこなかった。非常に閉じたものだったのでしょうね。で、神戸の実家に帰ってしばらくするとフィクション化された田舎を懐かしみだすんですね。
定年を迎えたサラリーマンなんかが老後を田舎で有機農業でもしながら暮らすといった、「夢」も同じ構造のような気もします。
一方もう一個の「イメージとしての田舎」の代表選手『となりのトトロ』なんかをみるとそこまでそれが鼻につかない。それはアニメという媒体の特性でしょうか。完全にフィクション化されていて、「いつでもない、どこでもない」という閉じた感じが逆に作品としての同一性を保っているような気がするのですが。いかんせんアニメよりも映画は「現実」を切り取るという要請というか暗黙の了解があるので難しいのでしょうね。特にこの作品の場合「似非リアリズム」のスタイルなので。
都会暮らしやその人間関係に疲れている人なんかは、この作品好きなんでしょうね。でも、田舎にも暮らしや人間関係は厳然としてあるわけで…