2006-01-01から1年間の記事一覧

ジョン・カーペンター『世界の終り』(「マスターオブホラー」より)アメリカ、2005年 をDVDで

いまおかしんじ『たまもの』日本、2004年 をDVDで

佐藤真『エドワード・サイード OUT OF PLACE』日本、2005年 @ポレポレ東中野

リチャード・リンクレイター『スキャナー・ダークリー』アメリカ、2006年 @シネセゾン渋谷

どうしても、「ディック原作」という観方をしてしまう。まぁ、そういうジャンルといってもいいのだが、それでは漏れてしまうものはあまりにも多い(例えばヴァーホーヴェンの『トータル・リコール』)。しかしまずこう思った。ディック原作として結構良い、…

今敏『パプリカ』日本、2006年 @テアトル新宿

今から忘年会なので取り急ぎ。 今敏監督の作品は確かにすばらしいのだがいつもいまいち乗り切れない。今作もそうだった。何となく好きではない、ではあまりにも無責任なのでその理由をじっくり考えねば。

いまおかしんじ『おじさん天国』(併映 いまおかしんじ『南の島にダイオウイカを釣りにいく』)日本、2006年 @ポレポレ東中野

なんだろう。はじめていまおかしんじ監督の映画を観たのだが、はっきりいって面白かったのだが、その面白さがまだ掴めていない、(つまり「自分のものに出来ていない」ということだろう)。まるでデイビッド・リンチのような荒唐無稽でともすれば精神分析的…

山本暎一『哀しみのベラドンナ』日本、1973年 @ポレポレ東中野

圧倒的なイメージの連続。イマージュと言うよりは、日本語の「イメージ」。想像力の素晴らしさというごく素朴な、作品に接するときの原初的な感動に充ちている。 これを見せられると、人間の想像力はもとよりいきる活力はエロスとタナトスしかない、と納得さ…

クリント・イーストウッド『硫黄島からの手紙』アメリカ、2006年 @新宿ミラノ1

この「硫黄島2部作」は、もはや言うまでもなく、誰の目からも明らかなように、2つフィルムの切り返しである。単純にアメリカと日本の切り返しである、と言えるが、もちろんそれだけではない。フィルムにはいかなるアメリカ人も、いかなる日本人も映っていな…

リチャード・フライシャー『スパイクス・ギャング』アメリカ、1974年 をビデオで

倒れたリー・マーヴィンに始まり、倒れるリー・マーヴィンに終わるこのフィルム。まさに彼へのオマージュのような映画だであるが、彼だけでなく撃たれた者の身のこなしが悉く素晴らしい。

ジャン・ルノワール『獣人』フランス、1938年 をビデオで

映画というものに、というか映画の欲望に忠実に撮られたフィルムである。

イングマール・ベルイマン『不良少女モニカ』スウェーデン、1953年 をビデオで

こういうフィルムを観ると、やはり美しさとは壊されるためにある、壊れてこそその美しさは儚さとして昇華されるものであると思う。

神代辰巳『死骸(しかばね)を呼ぶ女』(「恐怖劇場アンバランス」より)日本、1969年-1970年(1973年放送) をビデオで

テーブルクロスを引っかく女の爪あとが、鉄道とモンタージュされる。斜線というモチーフだけのナラティブにはほとんどかかわりのないカッティング。

スーパーエッシャー展 ある特異な版画家の軌跡 @Bunkamuraザ・ミュージアム

エッシャーの作品は極めて明晰であり、単なる「騙し絵」の域を軽く越えていることは明白である。エッシャーの誠実さはこれは騙し絵であるということを、紙に描かれた絵であるということ(紙に刷られた版画であること)をいわずにはおけない。そもそも遠近法…

万田邦敏『ありがとう』日本、2006年 @丸ノ内TOEI1

またしても映画(というか世界のすべて)に対する私の観かた、付き合い方が二律背反にジレンマを引き起こす映画だった。これを安易に傑作ということも駄作ということも私には許されない。

ベルトラン・シュミット/ミシェル・ルクレール『シュヴァンクマイエルのキメラ的世界 幻想と悪夢のアッサンブラージュ』フランス、2001年 @シアター・イメージフォーラム

ヤンとエヴァの会話など資料的な意味では、見れてよかったと思うが、それ以外は特にどうということの無い、凡庸な「ドキュメンタリー」。テレビで見ても十分だったろう(まぁ、観る前からなんとなくわかっていたことだが)。

ヤン・シュヴァンクマイエル『ルナシー』チェコ、2005年 @シアター・イメージフォーラム

フィルムの冒頭で彼が出ているからというわけではないが、ヤン・シュヴァンクマイエルの集大成的作品とみてもよいのではないだろうか。いい意味でも悪い意味でも、もっとも「映画的な」作品であるということも出来るかもしれない。依然として『悦楽共犯者』…

イングマール・ベルイマン『サラバンド』スウェーデン、2003年 @ユーロスペース

今から夜行バスで帰郷するのでしばらくしてから記したい。…すみませんもう少し待ってください(誰に何のために謝っているのか…)。

イングマール・ベルイマン『ある結婚の風景』スウェーデン、1974年 をビデオで

暗中模索、分からないということが分かるようなことの繰り返しのようなフィルムで、観ているもの自身が、私とは何者なのかと自問しその質問と答えを絶えず宙に放物線を描き放り投げつづけるようなものである。が、このフィルムにはある種の確信が漲っている。

ジャン・ヴィゴ『アタラント号』フランス、1934年 をビデオで

今余裕がないのでまともな文章を書けないのだが、なにも書かないままほったらかしにしておくのも何なので。

ジャン・ヴィゴ『新学期操行ゼロ』フランス、1933年 をビデオで

寄宿学校での反抗がテーマであるにもかかわらず、何ともいえぬ幸福感に包まれたフィルム。

小栗康平『泥の河』日本、1981年 をビデオで

小栗康平のこの処女作に漲る、決意とでもいおうか、宣言とでもいおうか、そういった雰囲気。彼が映画で何をしようとしているかがここにある。

フランシス・コッポラ『ペギー・スーの結婚』アメリカ、1986年 をビデオで

奇しくもというべきか、当然というべきか、今日観てきた上記の『百年恋歌』に続いてこのフィルムもファーストショットが素晴らしい。こちらも夢のようなフィルム。

侯孝賢(ホウ・シャオシエン)『百年恋歌』台湾、2005年 @シネスイッチ銀座

この場でも何度も指摘していることだし、ごく常識的なことなのだが、やはり映画はファーストショットで決まる。

イングマール・ベルイマン『ファニーとアレクサンデル』スウェーデン/フランス/西ドイツ 、1982年 をビデオで

一言で、このフィルムを言い表すのは難しい。

クリント・イーストウッド『父親たちの星条旗』アメリカ、2006年 @新宿ミラノ1

やはり、クリント・イーストウッドは極めて倫理的な監督である。

ブライアン・デ・パルマ『ブラック・ダリア』アメリカ、2006年 @新宿アカデミー劇場

やはり「アメリカ映画」を観るのは楽しい。

リチャード・フライシャー『ラスト・ラン/殺しの一匹狼』アメリカ、1971年 をビデオで

端正な美しいフィルムである。

小栗康平『死の棘』日本、1990年 をビデオで

映画は何を「説明」、「表現」出来るのか、するべきなのか…

園子温『紀子の食卓』日本、2006年 @K's CINEMA

よくないと思った『自殺サークル』だったが、観ておいてよかった。あの主題をさらに深めて、映画としても成功している。

オーソン・ウェルズ『審判』フランス/イタリア/西ドイツ、1963年 をビデオで

何という恐ろしいフィルムだろうか。