2006-12-01から1ヶ月間の記事一覧
どうしても、「ディック原作」という観方をしてしまう。まぁ、そういうジャンルといってもいいのだが、それでは漏れてしまうものはあまりにも多い(例えばヴァーホーヴェンの『トータル・リコール』)。しかしまずこう思った。ディック原作として結構良い、…
今から忘年会なので取り急ぎ。 今敏監督の作品は確かにすばらしいのだがいつもいまいち乗り切れない。今作もそうだった。何となく好きではない、ではあまりにも無責任なのでその理由をじっくり考えねば。
なんだろう。はじめていまおかしんじ監督の映画を観たのだが、はっきりいって面白かったのだが、その面白さがまだ掴めていない、(つまり「自分のものに出来ていない」ということだろう)。まるでデイビッド・リンチのような荒唐無稽でともすれば精神分析的…
圧倒的なイメージの連続。イマージュと言うよりは、日本語の「イメージ」。想像力の素晴らしさというごく素朴な、作品に接するときの原初的な感動に充ちている。 これを見せられると、人間の想像力はもとよりいきる活力はエロスとタナトスしかない、と納得さ…
この「硫黄島2部作」は、もはや言うまでもなく、誰の目からも明らかなように、2つフィルムの切り返しである。単純にアメリカと日本の切り返しである、と言えるが、もちろんそれだけではない。フィルムにはいかなるアメリカ人も、いかなる日本人も映っていな…
倒れたリー・マーヴィンに始まり、倒れるリー・マーヴィンに終わるこのフィルム。まさに彼へのオマージュのような映画だであるが、彼だけでなく撃たれた者の身のこなしが悉く素晴らしい。
映画というものに、というか映画の欲望に忠実に撮られたフィルムである。
こういうフィルムを観ると、やはり美しさとは壊されるためにある、壊れてこそその美しさは儚さとして昇華されるものであると思う。
テーブルクロスを引っかく女の爪あとが、鉄道とモンタージュされる。斜線というモチーフだけのナラティブにはほとんどかかわりのないカッティング。
エッシャーの作品は極めて明晰であり、単なる「騙し絵」の域を軽く越えていることは明白である。エッシャーの誠実さはこれは騙し絵であるということを、紙に描かれた絵であるということ(紙に刷られた版画であること)をいわずにはおけない。そもそも遠近法…
またしても映画(というか世界のすべて)に対する私の観かた、付き合い方が二律背反にジレンマを引き起こす映画だった。これを安易に傑作ということも駄作ということも私には許されない。
ヤンとエヴァの会話など資料的な意味では、見れてよかったと思うが、それ以外は特にどうということの無い、凡庸な「ドキュメンタリー」。テレビで見ても十分だったろう(まぁ、観る前からなんとなくわかっていたことだが)。
フィルムの冒頭で彼が出ているからというわけではないが、ヤン・シュヴァンクマイエルの集大成的作品とみてもよいのではないだろうか。いい意味でも悪い意味でも、もっとも「映画的な」作品であるということも出来るかもしれない。依然として『悦楽共犯者』…