2005-05-01から1ヶ月間の記事一覧

鈴木清順『オペレッタ狸御殿』日本、2004年 @神戸国際松竹

このフィルムの冒頭が人でも狸でもなく、馬の短いショットから始まっている所から、鈴木清順の空間が始まっているのはいうまでもない。さえぎるものがないセットに幾つかのオブジェを配したいつもながらの舞台に加えて、今回はCGによる背景合成がふんだんに…

クリント・イーストウッド『ミリオンダラー・ベイビー』アメリカ、2004年 @神戸国際松竹

陰影を強調した画面が伝えてくるのは、生と死であるが、ひたすら伝わってくるのは生きることへの命である。彼女と彼は生きることとしての死を静かに選択した。かといって画面の影はレクイエムではなく、生きようとするものの意思と生きてきたものが刻み付け…

彼女は戦い、生き、そして唄って踊った…!

いつもながら「ネタバレ」ありです。

廣木隆一『ヴァイブレータ』日本、2003年 をビデオで

言葉は映像の不倶戴天の敵であると、規定しまうことが間違いであることをこのフィルムは語り、示している。ここでは、今私が見ているただの光の束としての極めて現象学的な映像という光学的現象を、言葉は暴力的に規定したりはしない。かといって、カオスの…

初日

さあ、明日はイーストウッドと清順の新作を梯子するぞ。早起きしなくては。 と言いつつ、私の後ろでは朝まで生テレビが放送されている。

ジャン=リュック・ゴダール『ワン・プラス・ワン』イギリス、1968年 をビデオで

『ヒア&ゼア・こことよそ』の「&」もしくは「と」フランス語の"et"に多大な意味があるとすれば、このフィルムでの「プラス」も通常の文脈でいわれるような、1足す1が3にでも4にでも…というような紋切り型のものには当然ならず、等号(=)のようにいつまで…

フリッツ・ラング『M』ドイツ、1931年 をビデオで

久しぶりにきちんとしたどころから傑作のモノクロ映画を観て、思うのは画面に対する意気込みとでも言おうか、カラーや感度の高いフィルムでは考えられないくらいに陰影がカラフルであるということだ。それでいて(当然のことではあるが)モノクロであると言…

偏頭痛

何なんだこの不愉快さは

富野喜幸(総監督)『伝説巨神イデオン 接触篇』/『伝説巨神イデオン 発動篇』日本、1982年 をビデオで

形式と内容という不可解で不幸な二項対立のもとで富野喜幸(由悠季)の作品というのは語られるように出来ているように思う。あくまでも私の思考と言葉が他に良き道具を見つけられないのでこういう語りかたになってしまわざるを得ないのであるが、やはり富野…

チャウ・シンチー(周星馳)『食神』香港、1996年 をビデオで

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アンドリュー・ラウ/アラン・マック『インファナル・アフェア』香港、2002年 をビデオで

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鈴木清順『東京流れ者』日本、1966年 をビデオで

鈴木清順のフィルムをして平面的であり、その特性ゆえの比喩ではないどんでん返しそのものをフィルムで成したという指摘はまさにその通りであると思うが、それよりも私の感覚に訴えてくる特性は、特にこのフィルムでは顕著に見受けられるのだが、それは奥行…

フンデルトヴァッサーのゴミ焼却場

今日は門真に住んでいる大学時代の先輩の家に用事があって行って来た、その用事の内容もなかなかに面白いものであったが*1、帰り神戸の私の家まで車で送ってもらったのだが、どこで道を間違えたのか舞州のほうに迷い込んでしまった。 何故か海が見えるところ…

仁義どころの騒ぎじゃねェ

鈴木清順『関東無宿』日本、1963年 をビデオで

実はこのフィルムで一番面白いのは冒頭の女学生三人の会話である。親分の娘のカットの背後には電車が走っているのだが、この映像と音の開放と遮断がなんとも奇妙で変なことをやっているぞ。という雰囲気が伝わってくる、この3者がとてもある空間を共有して語…

サム・ライミ『ダークマン』アメリカ。1990年 をビデオで

やはりこのダークマンは、『スパイダーマン』の予告編でもあることは一目瞭然である。ヘリにぶら下がってのアクションシーンや、ラストの建設中の高層ビルでの滑車を使った格闘などいうまでもないが、例えばリベット打ちから発射されたリベットからの『主観…

ショーン・ペン『プレッジ』アメリカ、2001年 をビデオで

近年(とはいうものの断言できてしまうほど数をみていないのでこれは売り文句に過ぎなくなってしまうが)これほどまでに素晴らしいオーヴァーラップをみたことがない、というくらい素晴らしいオープニング。それだけでも十分画になってしまうような鳥たちを…

オリヴィエ・アサイヤス『DEMONLOVER』フランス、2002年 @十三第七藝術劇場

何というか「中心」を欠いた映画だと思う。企業買収と、いわゆる「ニューメディア」を扱ったサスペンスというジャンルのフィルムであるのだが、そういったものに対して登場人物たちはどこまでそれを本気で信じ、行っているのかが不明瞭で、映像はどこに中心…

トビー・フーパー『悪魔のいけにえ』アメリカ、1975年 をビデオで

やはりこのフィルムのテンションとでも云おうか、血圧の高さはただ事ではない。恐怖というよりは狂気の乱痴気騒ぎといったところであろうか。いまさら指摘するまでもないだろうが、レザーフェイスを筆頭とするこの家族の怖さとは、不可解さであるが、その不…

鈴木清順『刺青一代』日本、1965年 をCHANNEL NECOで視聴

赤い靴という記号が、おもむろに何度もこのフィルムに割り込んでくるが、この「赤」が曲者であるということが、クライマックスで見事に判明する。 弟の建次の非業の死が、我々には喜ばしいことに思えてしまうこの背徳的な感情は、このフィルムにこの役者の立…

鈴木清順『野獣の青春』日本、1963年 をビデオで

実際の時間で考えると、このフィルムのあれやこれやのシーンの中で「省略」されている時間というのはものの数秒である。ただドアを空けて、挨拶を交わすだとか、まさに省略するにふさわしい決まりきった約束的な振る舞いを、ポイっと切っているだけである。…

ジム・ジャームッシュ『ストレンジャー・ザン・パラダイス』アメリカ/西ドイツ、1986年 をビデオで

ジャームッシュのリズムはこの作品の暗転の部分に全てが凝縮しているように思う。なにかを意味しているのでも、何かの比喩でも、何かの暗示でもないこの暗闇は、ただただ物語にすらも奉仕せず、さまよう。 ジェイ・ホーキンスの三拍子のリズムがぴったりはま…

アルフレッド・ヒッチコック『北北西に進路を取れ』アメリカ、1959年 をビデオで

ちょうどこのフィルムの中盤でのシーン。スピルバーグの『激突!』のトラックのモデルのような、顔のない飛行機がわれらがケーリー・グラントに襲いかかる。この飛行機のエンジン音だけで襲ってくるこのシーンのリズムの素晴らしさはさることながら、その手…

ジム・ジャームッシュ『コーヒー&シガレッツ』アメリカ、2003年 @テアトル梅田

コーヒーと煙草が映画的世界においてある種の役割を果たしてきたことはもはや言うまでもないことであるが、ジャームッシュのこの小品の数々はそういった役割からは少しずらされ、無為の時間素晴らしさをその持続時間と共に表現している。つまり熱いコーヒー…

クリント・イーストウッド『許されざる者』アメリカ、1992年 をビデオで

イーストウッドはこの作品の中で何度も何度も倒れる。執拗に地べたに打ちつけられる。これはかつては悪名を馳せた彼が、今や「ただの農民」で腑抜けになっていることを意味しているだけではない。倒れるたびにその地面との衝突に付せられる意味は徐々に深刻…

指の皮

昨日は久しぶりにレンタルスタジオでのバンド練習。スタジオでやるのは数ヶ月ぶりだ。普段は友人の父親がやっているデッキの工房を夜借りてやっているので、自前のへぼいアンプでしか音を出していない。久しぶりにPEAVEYのいいアンプで音を出した。手前味噌…