勅使河原宏『おとし穴』

勅使河原宏はこの『おとし穴』も含めて、以降『砂の女』、『他人の顔』、『燃えつきた地図』と安部公房脚本による作品を四本撮っていますが、この『おとし穴』だけ、私は原作小説を読んでいません。
いや、面白かったです。
安部公房の話になりますが、この彼の作品って、もちろん「前衛」で、その作品の構造や人間社会に対する鋭い観察など批評的に特筆すべきものがたくさんあるわけですが、それを抜きにしてもSF的な設定や、不条理なコメディとして、とか素直に楽しめるというか娯楽的に読める部分ってありますよね。つまりストーリーとしても十分楽しめるというか。
そう意味でこの『おとし穴』も楽しめました。不条理なサスペンス、面白いですからね。
他にも炭坑だとか沼だとか安部公房の臭いがプンプンしました。やはり「安部公房ありき」の作品だということは否定し得ません。
で、以前『他人の顔』を観たときに思ったんですけど、この作品の場合はもともと原作小説の方の『他人の顔』が大好きで、小説という表現として、それを十分に満喫しました。つまり「文学」にしか出来ないことをやっていると思うんですね。文章で視覚的なものを喚起するというテクニックも含めて。それは他のメディアには変換不可能なものだと思うんです。で、そういう視点から見ると、勅使河原版『他人の顔』は確かに面白いけれども、安部公房版『他人の顔』を読んだときの興奮は喚起し得ないものでした。映画的に観ても現在から観ると「」付の「前衛」が、個人的に面白いけれどもそれが、内容と必然的にに絡み合ってはいないなと思いました。
そういう意味だけではないんですけど、この『他人の顔』よりも時間軸的には前に撮られた『おとし穴』の方が私は楽しめました。だから、逆に映画の方でストーリーを知ってしまった上で原作を読んだらどのような感じになるのだろうかと思いますね。でもきっと、原作小説も初めて読んだかのように面白がれるような気がします。すこし映画中心主義的な話になりますが勅使河原の映画って、嫌いではない、むしろ好きな方ですが、「映画」として同かと考えると凄いとは思わない。彼の経歴を見れば一目瞭然だと思いますが、映画的な美を追求するというよりはもっと広い意味での美をフィルムに焼き付けようとしているようにみえる。だから、『利休』なんかでは確かに凄く美しいものが捉えられているわけですが、それを写し取った全体としてのフィルムは捉えられているモノほど美しいわけではない。そこが勅使河原の限界かなと思ったりします。
で、この作品に戻ると、やはり映画というよりはその物語を楽しんだといってもよいと思います。おそらく私的にはこれから読むであろう安部公房版『おとし穴』の方が好きでしょうね。
とはいうもののこの作品お勧めですよ。