F・W・ムルナウ『サンライズ』1928年・アメリカ

冒頭の数カット。駅の俯瞰ショット、発車し徐々に加速する劇伴。オーバーラップでみせる疾走する汽車。
避暑地とそこに到着する帆船のオーヴァーラップ。
この数カットで、70年以上昔の映画が現在でもなお名作であることを教えてくれる。
カリガリ博士』での、あの見事に統制され美しさと、「人間的な」「牧歌的な」美しさ、都会と村とをムルナウの個性がうまく対比させ、昇華させている。
ここまで大胆にオーヴァーラップ、合成をやっていてもまったくくどくないどころか美しい。
モノクロの傑作である最低条件である「影」のつかい方。嵐の後、村が騒ぎ出したとき、都会の女部屋を疾走する光と影、この女と我々を煽りたてる。やはり見事だ。モノクロの映画では演出のために自然な影を写し取るのではなく、影を演出することを許されている。現在の映画からすればこれはもはや羨望の対象である。「リアル」でなくてもよいというリアリティが作り手と浮けてとの間で共有されている。影だけを見ていても、すべての機微がわかる。
これらは「クラシック」のみに許される特権であろうか。
ストーリーもいたってシンプルかつ美しい。
都会でのエピソードはまさにユートピア的、今見ると所謂「レトロフューチャー」的な現代的な楽しさを見出してしまう。ラングの『メトロポリス』もそうであるが。「昔の未来」の恐ろしく、美しく、儚いイメージ。
こういうものもクラシックの現代的受容のし方かと思うが、それでもいいと思う。あくまでも意匠にすぎぬものであるが、それで切って捨ててしまえるほど、映画は浅くない。
個人的には最近「誘惑的な都会のネオン」には食傷気味ではあるが(『マタンゴ』でもそれは感じた。)、にもかかわらず、この作品や『メトロポリス』のように洗練されたものには、少しもいやみを感じない。
すこし、クラシック作品への反応の仕方がわからなくなってきた。
なので後は唸ったシーンを箇条書き。

  • 妻を突き落とすイメージの挿入
  • 電車の中からみた風景
  • 教会のシーン
  • その教会から出てきて道路の真中まで抱き合い歩き、そこでキスをするシーン
  • それをクラクションや怒号で現実に引き戻されるシーン
  • 吼える犬の挿入
  • 湖の水面(映画に映る水面はほとんど美しい)
  • などなどきりがない。

この作品はサイレント映画の一つの到達点であることは間違いない。