コンラッド・ルークス『チャパクア』1966年/アメリカ

冒頭で、監督であり主演俳優であるコンラッド・ルークスのメッセージが文字で示される。これは所謂ドラッグムービーで、主観的な幻覚を具体的な映像にして追体験できる類の作品であろう。
この作品にはいろいろなテクスチャーが用いられている。カラー、モノクロ、モノクロのネガ、オーヴァーラップ、などなど。特にカラーとモノクロのつなぎ方は見るところがあった。
さらに音、これもテクスチャーといってよいのなら、さまざまな音色が用いられ、電子音からシタールや打楽器の音などなどである。
ドラッグムービー、つまり幻覚症状を見せているので、もちろん脈絡がない、つまりストーリーが無いようなつくりになっているが、ミュージックビデオがストーリがないにもかかわらず、違和感なく見れてしまうのが「音楽」そのものがいわば「ストーリー」の役割にとって代わり諸映像を束ねるのと同じように、「幻覚症状の映画である」ということが、この映画にもやはり一定の方向性を与えている。
1966年という製作年からも致し方ないが、LSDとかドラッグとかというとヒッピーっぽい人間のイメージやインドのイメージ、先住民族のイメージ、と案外その引用元というか、取り扱う映像の記号性に偏りというか限界があって、やっぱり飽きてしまう。
とはいうものの、これをドラッグムービーと限定して観てしまうのは少しもったいない。
この監督はこういう作品を取る人間ではめずらしく、映画のことが多少わかっているようで、きちんと録音された音の処理もしているし、編集も見事とは言わないが、それなりに考えてある。
でも、「ドラッグムービー」ならケン・ラッセルの『アルダード・ステーツ』のうほうがイメージが洗練されているし、その形式はヒッチコックの『めまい』にもみてとれる。
さらに、いっけんバラバラな諸映像を見事にバラバラなままで統一させている映画はハーモニー・コリンの『ガンモ』やヴェンダースの『ベルリン天使の詩』の前半部分のほうが美しい。
だが、そういう例よりももっとシュルレアリスティックな『アンダルシアの犬』などの作品の系列としてみたほうが面白いかも。
悪くはないがそれほどよくもない作品だった。