井筒和幸『ゲロッパ!』2003年/日本@神戸アサヒシネマ

タイトルからもわかるとおり、JB(ジェームス・ブラウン)がキーとなっているのだが、実はそんなことはどうでもよい。JBのバッタもんと、そのブーツのヒールに隠されているフィルムはあくまでも、映画を纏め上げるためのキーに過ぎない。つまり「マクガフィン」である。(そう言う意味で、ラストでの「フィルム」のネタバレは蛇足であるし、井筒の言う「リアルさ」とも少しずれている。別に中身は何でも良いのだ。)
これまでの井筒の映画の印象は映像で撮影のテクニックや編集の見事さで物語を提示するというよりも、いかにワンシーン、ワンカットの中に雰囲気、井筒風に言えば「リアルさ」を閉じ込めて、見せるといった類のものであった。
しかし今作はそう言った演出よりも、編集というか構成がうまく出来ていたので驚いた。JBのそっくりさんが絡むシークェンスがことごとく素晴らしいのは、そのシチュエーション、設定の面白さではなく、これを軸としてさまざまな物語、シーン、カット、が一つの流れにオーケストレーションされているからである。映画的には別にJBのそっくりさんである必要はなく、それは井筒監督の趣味趣向、モチベーションの問題である。
JBのそっくりさんとは絡まない、例えば西田敏行扮する組長と常盤貴子扮するその娘などの過去のシークェンスになると途端につまらなくなる。が、前述のことが見事なので、キャラクターの作りこみの甘などはさほど気にならない。
「リアルさ」よりも映画独自の、まさに映像で語るという魅力の方が勝っていると思うし、井筒作品の中で、一番上手に出来ていると思う。
あと、本編の前に流れたSoulheadのビデオクリップは何だったのか?本編を際立たせるカスミソウだろうか。まぁ、これを観て感じた嫌な予感は本編開始とともに消え去ったが。
余談だが、近年露出の多い井筒和幸監督だが、彼がテレビなどでしゃべっている「エンターテインメント」というのは、世間一般とは少しずれているように思う。エンターテインメント、大衆娯楽を標榜している割りには、好きな映画が『イージー・ライダー』だったり、フランシス・フォード・コッポラだったり、マーティン・スコセッシだったり、ドン・シーゲルだったりというアメリカン・ニューシネマであるのは、非常に面白い、彼らはいうまでもなくそのような作家として認知されていないし、そればかりか彼らは一般大衆を楽しませることを念頭においていない。