夢路いとし鬼籍に入る

ワテんとこサイなんか飼ってまへんで。

昨日は夕方過ぎに昼寝をしてたらそのまま寝入ってしまいおきたら真夜中の十二時を過ぎていた。いつもながらなんとなく、テレビを点けながらネットサーフィンをしていると。いとし師匠(私は弟子でも芸能人でもないので「師匠」を付ける必要はないのだが、つい付けてしまう。友人と話すときもやはり付ける。)の訃報が。遂にというかとうとうというか、まぁ、ショックというよりは「そうか」といった感じ。こいし師匠のいうとおり「寿命」なのか。78歳。
そして今日の夕方学校の部室で実の兄でもある喜味こいし師匠の会見の様子を見た。まさしく「かたわれ」を亡くしてしまったこいし師匠からは「喪失感」が手に取るように感じ取れる。私の祖母が亡くなったとき、父親や叔父、叔母たちもこういう顔をしていた。漫才師とか芸人とかいうのはコンビを組んでそれが「仕事」になると信じられないくらい普段は仲が悪いとよくきくがこの兄弟は普段から本当に仲がよいのだろうなと思った。コンビの片割れとして、弟として、どちらの喜味こいしも心から喪失感に浸されていた感じだった。
いとしこいしの漫才はきちんと意識して見だしたのが高校生くらい(それまでも、もちろんバラエティ・生活笑百科などで見ていた)からからなので、4〜5年くらいしかみていないのだが、やはりその独特な「間」には感じ入る。重鎮なので無論最初に出てくることはないので、絶対に自分たちの出番より前に他の芸人がやっている状態での登場となる。たとえ前にどんなテンションが高くて、体を貼った漫才やコントがあったとしても(たとえ野生爆弾だろうが、リットン調査団だろうが)、いとこいの番になり二人ゆっくりとマイクの前に歩みよるその動作だけで、その場の雰囲気のみならずテレビの前で見ているものの雰囲気も変えてしまう。私が思うにオールザッツ漫才に出ても問題ない。
夢路いとし喜味こいしの漫才は、名前をコールされてから、マイクの前に立つまででほぼ決まってしまうという神業であった。
決り文句ではあるがご冥福をお祈りします。喜味こいし師匠が早く向こうに行ってしまわれるのではないかと、嫌な予感がする。