クエンティン・タランティーノ『キル・ビル』2002年/アメリカ@MOVIX六甲

正直言って、この作品に対しての姿勢のとり方に困っている。全体として、また、作品として「面白かった」のかいまいち自分でも判断しかねている。
タランティーノには特別な思い入れがあって、中学〜高校の頃『パルプ・フィクション』や『レザボア・ドッグス』に夢中になり、彼の「オタク」的なつながりから、様々な作品に出遭い、「映画」という表現形式についておぼろげながらも意識して観るようになり、果ては自ら映画を撮りたいと思うようになった最初のきっかけにもなった監督である。
タランティーノが自ら監督した諸作品どれをとっても断言できること。それは構成、ストーリー(脚本)、人物造型などよりももっと細かいこと、各ショットが非常に間延びしていて、2度3度観ると好きなシーンが来るまでは非常に退屈であるということである。(かつて黒沢清が「ダラダラしている」と言った。)映っているものはかつての私には魅力的だったのだが(今でもトラヴォルタとサミュエル・L・ジャクソンの立ち居振舞いには興奮させられるし、ハーヴェイ・カイテルの表情にも魅せられる。魅力は何個でも言える。)、そのフォルムは決して洗練されていない。『パルプ・フィクション』もかつて何度も観たが、やはり観るごとに、「観たいシーン」までの時間が、ただただ感じられる。
ルーシー・リューはとてもよかったと思う。あの役は他の役者では考えられないし、和服での立ち居振舞いも様になっていたし、殺陣もウマ・サーマンより上手かった。さらに、PRODUCTION.I.Gの担当したアニメシーンが群を抜いてクオリティが高く、オーレン・イシイに肩入れしてしまう。アニメパートのあのクオリティの高さ、具体的に言うとアニメならではのキャメラワーク、動き、が単純に「映画的魅力」に富んでいてむしろ他の実写のパートが貧相にすら見えてしまう。全体的に観て、このパートが一番面白かった。それはアニメだからという以前に動く映像として、そのカット割りや話法のレベルが一番洗練されていたからだ。
タランティーノの魅力を語るときは、彼自身が他の作品に関して言及する場合と対を成すようにそのディテール、キャラクター造形や、会話のセンス、馬鹿馬鹿しい映画的なストーリー構成などであって、やはり全体としての力強さではない。彼は映画監督である前に脚本家であり、キャスティング、サウンドトラックのコーディネーターである。
が、タランティーノを完全否定する気にはどうしてもなれない。それは私の感傷に過ぎないのだろうか。やはりVol.2には期待する。とりあえずVol.1はネガティブな評価のまま保留。