メモ

夢ならまかせろ!入れ子構造

下に記したように、明日の卒論の中間発表の準備中なのだが、そのためにロラン・バルトの『明るい部屋 写真についての覚書』(みすず書房 1985年)を読み返す。すると最初の章のバルトの写真に対する表明が私の映画に対して持っていたそれと近いことに気付く。バルトが「写真の<<存在論オントロジー)>>」を企てたいという欲求。それをそのまま、「映画」に置き換えると、私の欲求に重なる。「写真」とは、<<それ自体>>何であるのか――「映画」とは<<それ自体>>何であるのか。
経験的な区分(「プロ」/「アマチュア」)、修辞学的な区分(「ドラマ」/「ドキュメンタリー」/「アニメーション」)、美学的な区分(「表現主義」/「シュルレアリスム」/「ネオ・レアリスモ」/「ヌーヴェル・ヴァーグ」…)これらの「映画」という対象に対して外在的であり、その本質とは無関係な「区分」、さらには「モンタージュ」を超えて(タルコフスキーなどはモンタージュを映画に固有なものではないと断じている)、「映画」そのものにせまってゆくこと。
やはり、これは大きすぎるテーマだ。足がすくみそうである。4年やそこらの学生生活では到底たどり着けない、生涯を書けたテーマであろう。