吉田喜重『キング・オブ・フィルム/巨匠たちの60秒』、『鏡の女たち』についてのメモ

ユリイカの今年の4月号増刊「総特集吉田喜重」を読み返す。この中でも特に数篇篇収められているインタビューが面白かった(蓮實重彦による岡田茉莉子へのインタビューも面白かった、何気ない雑談に見えてそれらがすべて日本映画史の一端になっている。)。先日観た『キング・オブ・フィルム〜』の吉田喜重のフィルムが素晴らしくて、たしかそのことに言及している個所があったなと思い出し、読み返す。吉田喜重諏訪敦彦の対談である。今私が最も好きというか気になる監督である諏訪との対談(関西での『H story』の公開はいったいいつなのだろうか?早くして欲しい)。テーマは察しがつくように「広島」である。で、『キング〜』について吉田が言及しているところを引用

 『キング・オブ・フィルム――巨匠達の60秒』という、映画生誕100年を記念するプロジェクトが、95年にありました。それは100年前にリュミエール兄弟が発明したキャメラを使って、世界中の監督たちがワンショットで、1分間の映画を撮るというものでしたが、私もそれに加わって、広島を撮りました。原爆ドームの対岸に大きな鏡を設置し、そこに映る私と、100年前のキャメラを回しているキャメラマンと私の姿を撮影したのです。やがて鏡が移動して画面から消えると、その彼方にドームが現れる。キャメラは回りつづけていますから、おのずから今度はドームが撮影される。そして再び鏡が画面に戻ってくると、また私とキャメラマンの撮影している姿が映し出されるという、ただそれだけの1分間のショットです。その映像の中で私がコメントしたことは、「映画は傲慢であってはならない」ということでした。映画によってすべてを描き出せる、キャメラによってすべてを映し出せるという、思い上がった自負を、映画監督は抱きすぎている。しかし本来は絶対に撮ることの出来ない映像、あるいは撮ってはならない映像が前提にあって、映画が成り立っているのです。(中略)本当に人間が死んでゆく瞬間の映像には、人間は耐えられないのです。耐えられないということは、それが映画の描くことのできない残余であることを示しているのです。映画には映すことのできないものがある。そのことから映画を見直す、見返す必要がある。私にとってはこうした表象不能の原点が、広島でした。したがってドームに向かって、それを被写体としてキャメラを回すことはできない。なぜならそれを回している私たち、先ほど鏡に映っていた私とキャメラマンは、あの閃光を目撃した人びと、すなわち死者でなければならない。撮ることの不可能な原爆、それにもかかわらず描くことができると思い込むのは、映画監督の傲慢でしかありません。
ユリイカ 4月臨時増刊号 総特集=吉田喜重』2003・青土社 P.87

鏡という実際的なものとしても観念的、シンボル的な意味としてしても、すでに『鏡の女たち』に連なるものがはっきりと、みてとれる、鏡、原爆ドーム
同じく『ユリイカ〜』のP.90では『鏡の女たち』で原爆ドームを正面から撮ったことについて述べている個所があるがそこでは、「私にドームを映像で取る権利が無い以上、不可能な表現、不可視の映像として、それを示すしかありません。」、それがあの衆知の構図で撮られたドームであった。「私たちはドームを「見ている」と錯覚している」が、「現実に原爆を見た人びとが死者である限り、ドームを見ているのも、また死者であるはず」である。「「見ている」のは私たちではなく、まぎれもなくドームが、私たちを「見ている」、ドームにみすくめられている」のである。それが吉田が『鏡の女たち』で、ドームを正面から、」衆知の構図で撮影した理由である。
こうみると、面白いようにこの二つのフィルムが共鳴し合うのがわかる。表面的にわかりやすい鏡、原爆というテーマのみならず、その姿勢においても一貫していて、同時に見ることも十分可能である。『キング・オブ・フィルム〜』に収めらっている吉田喜重の一編は『鏡の女たち』の予告編であると言いきってしまっても良いのではないだろうか。