●今日もバイトから帰って、ビールを一杯晩飯を食べ、「さて映画でも観るか」と思いきや、古くからの友人から突然の連絡。「久しぶりにセッションしようや」。ちょっとベースを弾いてくる。今から。
●さて、ビデオのタイマーをセットしなくては。今日の深夜テレビ大阪でオンエアされる『ウルトラQ dark fantasy』は金子修介だから。
●特に記すこともなかったのだが、連続記入の自己記録を更新しているので、なんとなく記す。
●なんとなくついでに今週の授業のメモ。

セットとロケとの差異について

※これらの作品は当時のパリではなく、いわゆる「ベル・エポック」の時代を再現しているものである。
次いで、ゴダールトリュフォーロメール3氏の兆篇処女作、『勝手にしやがれ』、『大人は判ってくれない』、『獅子座』を比較。

  • フランス文学特殊講義(「ゴダールの全キャリアを概観する」授業)

※映画の導入部について(1930年代〜40年代に開発された文法、引きの画面から徐々に舞台設定、人物などを説明しながらクロース・アップにカットが移行してゆくという定石。それとそれらから逆光、または逸脱、あるいは無視したもの。前回観たデュヴィヴィエやそれの一つの完成形であるヒッチコックなどに対して。)
参考上映:

ハリウッドの内部からその文法に挑戦した者

文法を意識して逸脱したというよりも、「無視した」と言ったほうが適切であろう。

フラー、武それぞれの導入部と『勝手にしやがれ』の導入部顔のクローズアップの連鎖との類似の指摘。それにしても先週に引き続きまた、フラーのフィルムは導入部の数分だけでもなんとすばらしいことか!「私は戦争映画を撮って上映するとき、スクリーンの裏に機関銃をセットして観客を撃ちたいという欲望がある」フラー。