神代辰巳『青春の蹉跌』1974年/日本

●複数の時制、あるいはモチーフをグリフィスから連なる平行モンタージュとは必ずしもカテゴライズしきれないような形式で織り込む、挟み込む、闖入させる。これが神代作品の一つの特徴だと思われる(この形式の一つの象徴的作品が『四畳半襖の裏張り』であろう)。
長谷川和彦脚本はこの作品と『宵待草』であるが、両社に共通してみられるのは背景である。それはアナーキズムというか早い話が学生運動であるのだが、必ずしもそれに対してシンパであるような姿勢を作中では見せず、むしろそれとはある種距離を置いているように思う。時代背景の一つとまではいかないが。これが大島渚とかになると、どこかしら近親憎悪的な「感情」を感じさせる、批判的な描き方をして、清算しようとしているような振る舞いにみうけられる。
●オープニングのローラースケートは美しい。滑るというモチーフが、最終的に雪山を滑り落ちる2人にまで変奏され、高まってゆく。
●作中、オープニングをはじめ、横からロングで捉えられた萩原健一は、(その多くが1人でのショット)右から左へと流れるトラヴェリングショットである。そしてその横移動は、ラスト首の骨を折って(おそらくは)絶命するに至るまで、止まらない。
神代辰巳の捉える雑踏などのシーンの猥雑さはとても魅力的である。神代作品でみられる手持ちキャメラのショットは現在のリアリズムとはいささか異なっているように思われる。リアリズムという片仮名よりも、むしろ生々しいとかいう日本語のほうがしっくり来る。(諏訪敦彦の『H-story』の後半の商店街のシーンを「神代を思い出した」と証言した友人の弁を思い出した)