黒沢清『回路』2001年/日本 をビデオで

黒沢清の近年の作品(つまり、昨日見た『ドレミファ娘〜』などの場合、その混沌ぶり自体が混沌として理解可能なものであるのだが)の初見の感じはなんとも言いがたい、戦慄とも違う、戸惑いに似た感触を得る。間違い無く傑作である。というよりは、『アカルイミライ』もそうだったのだが、上手いとか、素晴らしいとかではなく、なにか個人的に貴重な体験をしているような気になる。宝石や貴金属とかいった類のものを形容するのとはまったく違う意味でなにか大切なものであると思う。
自分自身未消化のものを、ただ未消化のものとして素晴らしいと思う。
あまりにも抽象的な感想を書いてしまったが、このあたりが(いまさら言うのもなんだが「良い悪い」は別として)私が黒沢清の作品は「好き」で、青山真治の作品が「嫌い」な理由であるとも思う。どうも黒沢清の作品を観るとナーバスになってしまうようだ。
もちろん、映像作品としてディテイルにも存分に見所はあって、ラスト近くの閑散とした街並みの風景はホラーだとかSFだとかの枠組みをはみ出してただ単に、街並みを映した映像として素晴らしい。それと関連して中盤知らない女性が麻生久美子の前で投信自殺する場面。身を投げる女性の肉体感覚のリアルさはもちろんだが、落ちるその建造物自体にえもいわれぬ存在感を感じる。物語の序と結を占める船上のショット、さらにその船を遥か上空から見下ろすショット、これが素晴らしい。何か『惑星ソラリス』のあのラストショットのような詩情、物語世界そのものを相対化してしまうような恐ろしさが詰まっている。