庵野秀明『式日』2000年/日本 をビデオで

この作品が基本的に「順撮り」で撮られたのだとしたら、庵野秀明はこの作品で何らかの変化を遂げたのではなかろうか。「実写2作目」ということもあり、アニメとの違いとかいう些細なことを超えて、キャメラの存在そのものと格闘した跡が伺える。リアリズムという言葉だけには集約しきれないなにかが、そこには映っていて、それに気づいたのかどうなのかはわからないが、ラストでの彼女の母親との対面のシーンにおける慎み深いキャメラがこの作品の集大成であることは間違い無いだろう。この映画の最初と最後ではキャメラと被写体との距離が明らかに違っているのである。それはちょうどこの物語におけるカントクと、監督の持つキャメラと彼女との距離が変化して行くのとも微妙に呼応していると思われるのだが、岩井俊二はこの作品中のカントクによるキャメラの映像を実際に撮ったのだろうか。だとしたら、他者による映像が庵野監督自身の作品にまで入りこんできて、映像と格闘する機会を得たのではないかと想像する。
物語としては、私は藤谷文子の原作がどの程度ものでこの作品でどの程度生かされているのかは知らないが、押井守の『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』の極私的なリメイクであると感じた。というかかなり序盤からそうであるとしか思えなった(松尾スズキによるモノローグの声が千葉繁でないことを不思議に思ったくらいだ)。この彼女の夢の世界からいかにしてリアルに引き戻すかそれがクライマックス、ラスト、になるということは十分に予感できた。彼女が「いなくなれ」と思えばそれはいなくなる世界。これはラムの夢の世界、つまりフィクションの世界と何ら変わらなく。後半になって徐々に闖入者が出てくるまでは一貫して閉じられた空間の中で映画は進んで行くのだ。最後までこの映画が閉じられたものであることには変わり無いのだが、明日は未知であるということが提示されることによって、とりあえず外の世界はあるということが予感されるだろう。
エヴァンゲリオン等とキューティーハニーとの間にこの作品があることは今見ると十分にうなずけるものであると思う。