是枝裕和『DISTANCE』2001年/日本 をビデオで

ワンダフルライフ』と『誰も知らない』とを結ぶこの作品。はたして、『ワンダフルライフ』の延長上にやはり位置し、『誰も知らない』の美点の予感はほとんど感じられないままであった。
"DISTANCE"と言うタイトルが「距離」、地政学的、心理学的、即物的、あらゆる意味での距離を意味しているとすれば、この映画に決定的に抜けている距離感覚は時間的距離であろう。この作品の構成、編集にはまったくと言って良いほど倫理観が欠如している。
作中で浅野忠信扮する元信者が「そこにいたものにしか解らない」と、その表象不可能性を断じたそばから、「当時の」映像が「現在」の時制である山中にとどまらざるを得なくなった5人の場にインサートされ我々には差し出される。これがもし、「原爆」だったり「アウシュビッツ」だったり「9.11」だったりしたとしても、是枝はこともなげにその映像を差し出してみせたであろうか。やはり少なくともこの『DISTANCE』までにおける是枝の距離感には私は与することは出来ない。端的にいって映画に対する倫理観が欠如している。
ワンダフルライフ』に引き続き、エピローグ的に添えられるARATAのシークェンスは下品である。この作品にこのような伏線を張る必要があるのだろうか。このあたりに伺える距離感にも私はやはり嫌悪を覚える。