ロバート・アルドリッチ『ロンゲスト・ヤード』Robert Aldrich"The Longest Yard"1974年/アメリカ をビデオで

ロンゲスト・ヤード [DVD]

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モチーフが『特攻大作戦』と重なる部分が多々あるが、「物語」だけを意地悪く観ると、妙に道徳的なラストが引っかかるものの、そのほかは概ね観ることの快楽に正直な、荒唐無稽な面白い作品である。ただ、『特攻大作戦』とこれ以上比べるのも不毛な作業だが、キャラクタ一人一人への配慮は『特攻大作戦』の方が数段上で、逆にこの作品の方が、そのあたりの「人間性」というフィクションを放棄しているともみれるかもしれない。
さて、本題はなんといってもフットボールの試合そのもの(とその前後)である。スタジアムの場面になるや否や画面は何段階にも分割される。フットボールのようなフィールドゲームを映画としてどのように捉えるか、ひとつの考え方がここに示されていて、それは成功しているといえる。フィールドゲームにおいて、表情などの通常「ドラマ」を生み出す要素と思しきものは実際には邪魔で、選手たちの肉体とその持続される運動そのものが全てであり、その中断はドラマの中断をも意味する(この点、例えば野球などが逆の例で静と動が競技のシステムに組みこまれていて、一対一の決闘などとして「ドラマ」に昇華しやすい)。それに対してやはり、フィクションとしてフットボールを見せるとき、試合の実況中継ではどうしようもない。いくら本物のフットボールプレイヤーを起用してもそれは同じことで、キャメラをよせれば競技としてのダイナミズムは全く伝わらなくなってしまうし、引けばドラマを語れなくなってしまう。このディレンマを解消するひとつの手段として、分割画面を採用したのだろう。これは「神の視点」ともいうべき万能の視点でドラマを語ろうというものではなく、アップとロングを通常我々はある程度同時に認識しているというそのことのを再現した結果のものであり、この方が自然であるということである。
もちろんそれだけではなく、分割するからにはそれでかなりの遊戯を施していて、万能的な視点を提示しているがそれはやはりオマケ(とはいうものの豪華なオマケだが)である。
オーラスのスローモーションはどうだろうか。「いかにも」という感じで少々鼻につかないでもない(例えばスローで動くボール、それを様々な立場、位置から見る人間の顔の連続といったような使い古された語り方のような)。が、普通こういう場面は無音というか、コンセントレーションが極度に高まった人間の「なにも聞こえない」状態を再現するのが常であると思うが、ここではタックルされた者の唸り声や衝撃音がつぶさに提示され、カットは何度も変わる。ここでは夢中な者の視点ではなく、あくまでも観察者、しかもスローによってつぶさにそれを試みようとする観察者の立場を決して崩していないのである。