ジョージ・A・ロメロ『死霊のえじき』1985年、アメリカ をビデオで

夜(NIGHT)はやがて夜明け(DAWN)を迎え、そして昼(DAY)になるというわけで、第三作の"DAY OF THE DEAD"。この作品は一見リアリスティックなようでいて、前の2作に比べると、良くも悪くもかなり観念的な作りになっている。
軍人と科学者との対立はカリカチュアライズされすぎの感がある。前2作までのスリリングでギリギリのところで上手くやりあっていこうとしていた人間関係は、遂に本作で崩壊を見せる。なぜならば彼らはあまりににも役割がはっきりしていたからである。
その中にあって、バブ君*1はやはり殊勝な出来のキャラクターである。彼の役割とは何なのか、人間たちの対立構造はそのまま世界のそれのメタファーであり、「何故そこに星があるのか」説明できないのと同様に不可解な存在であるゾンビとは自然、死、恐れ、つまり世界、宇宙そのものと渾然一体となったメタファーであると読み取れる。
そんななかでバブ君はただ存在する。科学者や軍人たちの思惑を超えてただ存在する。他のゾンビや人間たちと同様に、しかしながら個としてただ存在する。バブ君はフランケン博士がいみじくも言ったようにexistをcontinueさせらている。このcontinueこそ最も重要で、ゾンビである彼のゾンビらしいのろのろとした立ち居振る舞いを捉えるキャメラの持続のリズムが人間を捉えるリズムと必然的に異なってくるのが素晴らしい。
シリーズ中最も密閉した空間で繰り広げられる本作だが、「逃げ場なし」の醍醐味はほとんど感じられない。なぜならば外をヘリで偵察しているシーンを冒頭に入れたからであり、なによりも内部に様々なレヴェルの空間、心理的空間の壁があり、内部に逃げ場があるからである。逃げた場所が心理的に広すぎた。世界に逃げてしまったのだろう。カーペンターならば地球全体や宇宙全体が舞台であっても逃げ場なしの映画を撮ってしまうであろう。おっとカーペンターびいきすぎて我ながら気持ち悪い発言。
やや残念な出来。

死霊のえじき 完全版 [DVD]

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↑間違っても「最終版」を見ないように!いいシーンがカットされまくりとのこと。そっちは見てないが。

*1:敬意と親しみを込めて、敬礼しながら「君」を付けさせていただく