黒沢清『降霊』日本、1999年 をビデオで

例えばキッチンとリビングを何度も往復しながら会話を交わす、役所広司風吹ジュン夫婦の会話を造作もなく捉えたショットや、録音スタジオでの作業風景を捉えるキャメラが「バッ」と一人の男にパンしたり、「バーッ」と右へパンしていったかと思うと、再びもとのポジションのショットを次に添える。こういった映像の文体は間違いなく黒沢清の指紋である。
風吹ジュンが意を決し、働き始めたファミレスでの出来事。大杉蓮に付きまとう幽霊の、最後大杉について行くシーンの動きには思わず吹き出してしまった。黒沢清のホラーにはこのようなズレはいつも付きまとっている。
この物語に関していえば、幽霊は何もしていない。ただそこにいるだけである。それに対して人間が、それが見える人間が、過剰反応を示しているに過ぎない。そうなると劇中役所が言っている「運命」というやつもそれはただ結果としてそこにあったものであり、やはり人間が過剰反応を示しているに過ぎず。それをお払いするための神職がこともあろうに哀川翔であるということがそれを示しているのではないだろうか。
役所広司が音響技師であるという設定は、この作品全体に流れるあるパースペクティブを支配しているように示唆して意るように思えてならず、序盤の作業風景の描写から、この映画の音に注目、もとい耳をそばだてることを、促す。その結果、終盤における役所と風吹夫妻のただならぬ足音の質感に最も戦慄を覚えるはずである。
この映画で「降霊」は実際のところ一度も行われてはいないのではないかと思う。幽霊が見えることと降霊が行えることは全く違う能力であるどころか、理屈が違うように思う。また、幽霊であるあの緑色の服をきた女の子を棒でボコボコ殴るくだりとか。このあたりペテンすれすれの所を堂々とタイトルにすえてしまうあたり、「黒沢清らしい」とでもいおうか、なんというか。
あと、やはりあのくだりは今見ると『ドッペルゲンガー』の前触れに見えるなぁ。面白いシーンだったし。

降霊 ~KOUREI~ [DVD]

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