試問

卒論の試問が今日あった。ようやく2年にわたる卒論が終わった。院にいく人間はかなりきつめに問答があったみたいだが、そうでない私は、本稿から読み取りきれなかった、私の考えを確認するという程度のものだった。
とはいうものの、現象学が専門の指導教官だった先生と、去年、つまり出せなかった卒論の指導教官だった先生が副査だったのもあってか、先生方なりの興味を膨らませた質問を投げかけてくださって、とりあえずもう一人の美学の先生も含め全員に「おもしろかった」との言葉を頂いたので、多少の世辞はあるにせよ、よかったと思う。今日の試問で現象学をきちんと勉強してみようという気になったほどだ。つまり現象学的にみると、身体も、とりわけその目、視覚もカメラと質的には同一なのではないかという問い。カメラがあるアングルを決めてその方向しか見れないということは、まさに現象学的問題として扱える。その点で先生は私が想定した以上に思弁をめぐらせて、「楽しんで」くださった。(と思う)
とりあえずフッサールから読んだら良いのだろうか?
ともかく、自分でもよく分かっていなかった問題がクリアになるこういう機会は極めて貴重だ。
自分でも用語の用い方に不備があると思っているのだがそこは突っ込まれなかったから、まぁ「お疲れさん」ていどの試問だったのだと思う。院にいくことが決まっている友人は「哲学史の知識が足りなすぎる」と厳しく言われたみたいだし。
今回の卒論に限らず、私は今まで「完璧にやった。これ以上出来ない。」といえるようなものを完成させたためしがないので、それを概ね評価されるとなんとも複雑な心境になってしまうのもまた事実だ。
試問も終わったので、近日中に卒論や、映画の授業のレポートをアップする予定。
どうもここで「予定」と記されたことはほとんど実行に移されていないような気がするのだが、何とか実行したいとおもう。