廣木隆一『ヴァイブレータ』日本、2003年 をビデオで

言葉は映像の不倶戴天の敵であると、規定しまうことが間違いであることをこのフィルムは語り、示している。ここでは、今私が見ているただの光の束としての極めて現象学的な映像という光学的現象を、言葉は暴力的に規定したりはしない。かといって、カオスのまま放っておくということもしない。言葉は映像と戯れる。パロルもエクリチュールもイマージュも共に戯れる。ホテルの浴槽でのやり取りのイマージュとそれに被さるパロルとエクリチュールは確かに映像のあり方を変える、と同時に映像によってそれらも心地よいズレを催す。ともすればステロタイプな、そして経験的な判断に基づく、ある意味「正しい」見かたを心地よくずらしていき、登場人物の心理などというものをさらっと越えて、あくまでも表象的に揺らめく。