スピルバーグの「作家性」

昨日呑んでいた友人と帰り道、スピルバーグのヘンさ、子供っぽさ、無邪気さとについてうだうだ喋っていた。先日の『宇宙戦争』はシャマランや黒沢清を見ているとしか考えられないような映画で、それらに対して批評の文脈にあるような作法でもって引用するのではなく、ただ面白いからやっているというような姿勢は凄まじいと思う。タランティーノの引用にも倫理がはっきり存在するのだが、スピルバーグにはそれが無いように感じる。先日も触れたが「9.11」のリアリティによるパニック描写も、積極的な意味で「だからどうした」と言う感じだ。このあたりが「奇妙さ」の原因ではないだろうか。
イーストウッドとはまた違った意味で偉大なのだ。