スティーブン・スピルバーグ『マイノリティ・リポート』アメリカ、2002年 をビデオで

「ディックのSF文学の世界を映像に翻案する」などといった行為が、あまり生産的な行為でないのは、ポール・ヴァーホヴェンが『トータル・リコール』で逆説的に示しているし、『ブレードランナー』にしても、同様のことがいえる。そられの作品が作品として見れる部分では、「ディックなどただの原作に過ぎない」と気持ちよく宣言している。リドリー・スコットはともかくとして、ヴァーホーヴェンに関してはだからこそアメリカ映画の植民地主義的なものとは無縁の暴力性がみなぎっているのだ。
別にフィリップ・K・ディックに限ったことではなくて、「映画化」といういわば植民地的・帝国主義的な行為は、見たいものしか見えなくなってしまうだろう。ディック的イメージを追っているだけでは映画が見えてこない。そういったことがこの作品の「お話」ともあいまってアイロニカルに響く。