不眠症的な、あまりに不眠症的な

昨日は久しぶりにひどかった。「眠れないッ!キーッ!」というやつである、だいたい月イチくらいのペースでやってくる。ま、多分生活のリズムが悪くなったりすると出現するのだと思うが。
午前3時くらいに床について、約6時間ほど云々いって9時過ぎくらいにやっと意識が。その後数回軽く目を覚まし、12時にはバイトにいく為に起きた。結局寝ていたと自覚(?)出来ている時間は述べ2時間ほどか。
思えば1週間ほど前、私の部屋に小さな蟻がどこからともなく現れたのも悪かった。数カ所さされた。まぁ、それだけならばいいのだが、寝ていると足や手や顔や…にあの小さな小さな蟻が這ってくる。そうこうこうして過ごしているうちに、蟻がいないにもかかわらず特に足は、蟻がいるぞ!という信号を脳に送ってきやがる。それが気になりだすと頭が狂いそうに一晩中存在しない蟻を払いのける。ヤバイ。だいたいそんな賽の河原のような不毛な行為も小一時間たつと、睡魔が勝ってしまうのだが、昨日はそうもいかなかった。
昨日記さなかったが、寝る前に『イノセンス』を観たのもまずかった「日本映画専門チャンネル」でやっていて、最初から最後までヘッドフォンをしっかり装着して観た。そりゃイノセンスなんだから面白いに決まっている。心が騒ぐ。そのあと1時間ほど押井守のインタビューもあった。これもまずかった。頭が妄想に近い思考モードに入ってしまった。そのとき午前2時前。そのあとバイト先のポップの文句を数十分考えて、床につこうとしたのだった。
不眠の状態というのはなんともいえない時間感覚に襲われて、その自覚が不眠を加速させる。必死に息を整えて、腹式呼吸を意識して、集中が切れる。時計を見ると2-30分程しかたっていない。まぁ、これを繰り返しているうちに眠れるだろう。お、少しまどろんできたぞ…。あ!足に蟻がたかっている!皆殺しにしてやる!しかし一匹もいない。
私が不眠に陥る場合、このような皮膚感覚が関与することが多い。一番覚えているのは中学生くらいのとき、いつも着ている寝巻きが急にまとわりつくような感じがして、それがどうしようもなく不快になってきて、気がつけばその寝巻きはずたずたに引き裂かれていた。皮膚感覚が、眠りたい意思とは裏腹に暴走してしまうようだ。
たしか大学のとき、何かの演習の授業でレヴィナスだったか、時間論の話題で、不眠がキーワードになっていた。レヴィナスにおいて不眠は重要なキーワードであった。あまりレヴィナスについては勉強していないので、言及できないが、たしか不眠、眠れない夜という体験が、無為の時間みたいな体験がハイデガーの言う「無」と似て…、忘れた。というか、ちゃんと勉強してないのできちんとしたことがいえない。(これを記したことをきっかけに本棚に鎮座している『レヴィナス・コレクション』をきちんと読んでみるか。しかしハイデガーあたりもきちんと抑えておかないといけないと、非常勤の先生が言ってたなぁ。これを機に眠れなくなったらレヴィナスを読むというのも一興かも。)
不眠時の時間ほど時間そのものが迫ってくることは無かろう。「眠る」という非行為を能動的に行おうとする行為。眠るための努力という不毛。自分の精神と身体とを相手に私は駆け引きをして眠れるように誘おうとするのだがそれに悉く失敗していく。皮膚感覚や言語感覚が暴走してきて、頭の中に言葉が溢れ出す。私はその対処法として、目玉を裏側向けるようにする。すると幾何学的でサイケデリックな模様が現れる。色彩がある時もある。その映像をある程度コントロールし、ある程度流れに任せ、言葉を思考から追い出すようにする。これはなかなか成功率が高い。しかし、それでも言語の洪水に負けて、そのような技を使おうという意識が吹き飛ばされてしまうときがある。何か気がかりなことがあってとか、ストレスとかでというより、このループに陥り、寝なければならない、なのに寝れない。ということが不眠を増長する結果になる。こうなれば朝までコースだ。意識をなくすことをが目的なのに、その目的を強く意識していては、眠れるはずがない。
結局、「今日は寝ない!」と開き直って、明かりを点けて本でも読んだり、ビデオで映画でも観たりするのもひとつの手だ。しかし明日も仕事だ、となると少しは寝ておかなければという常識的な要請がことをまずくする。やはり最初のきっかけはどうあれ「寝なければならない」ということ事態が不眠の大きな原因なのだ。
さて、寝るとするか…、今日は寝つきがよさそうだ。

レヴィナス・コレクション (ちくま学芸文庫―20世紀クラシックス)

レヴィナス・コレクション (ちくま学芸文庫―20世紀クラシックス)