ダルデンヌ兄弟『ある子供』ベルギー/フランス、2005年 @恵比寿ガーデンシネマ

「ドキュメンタリータッチ」などの方法により、ある種のリアリズムを標榜しているかに見えるダルデンヌ兄弟の作品は、しかしながら非常に見せるものと見せないものを計算しつくしたある種の不自由さをも引き受けている。
一見自由な形式から、徹底したメッセージを伝える。そこから我々が自由に意味を見出すことを丁寧に拒否し、彼らは我々に見せたいものを的確に見せる。つまり演出。ここで繰り広げられるのは見事に演出された映画である。
その演出とは一目瞭然クロースアップである。被写体以外のものがほとんど画面に映りこんでこないようなアップ。これはほかのダルデンヌ兄弟作品について同様である。ここまでアップの画面を多用すると、どんな撮り方をしても我々が注目すべきものは決まってくるだろう。
しかし、この作品ではそこから一歩変化を来たしている。それはこの作品の物語の展開ともリンクしてくるのだが、主な被写体(主人公)が一人ではないということであろう。男と女この二人を同時にキャメラに収めようとするとき、当然キャメラの位置も、映像も変わってくる。だからこそこの作品のラストはあのようにこれまでの作品にないような感情的なラストで締めくくるのである。しかし、このラストの映像にも2人以外は何も映っていない。
この映像の感覚がダルデンヌ兄弟の作品の、「生々しいタッチ」でありながらどこか浮世離れした感覚の原因だろう。ある種の普遍性を獲得するとともに、現在の世界との繋がりを切断している部分もある。
ともあれ、彼らが重要な作家であることは間違いないし、この一人から二人になったフィルムから次の作品ではどう広がっていくのか、興味深いところである。