富士フィルム、シングル-8販売および現像終了のこと

miro_412006-05-30

吉田喜重監督が、映画100年の折に、生誕した日があるからには死ぬ日もある、それが宿命づけられている、という旨の発言をしていたが、その戦慄すべき発言を思い起こさずにはいられない出来事が起こった、起ころうとしている。
情けなくも後輩の日記で知ったのだが、ついにというかとうとうというか、フジフィルムがsuper8の生産、ならびに現像を停止する様だ。
http://fujifilm.jp/information/20060425/index.html
私は大学時代、初めて撮った「映画」はもちろんのこと、4本このsuper8で作品を作った。DVでも作品を作ったが、やはり8mmで作った作品への「思い入れ」は別格である。
やはり映画はフィルムで撮らないといけないだろうという、安直な考えと共に、はじめて映画用フィルムに触ったあの十代最後の日々が思い起こされる。ノスタルジアだろう。感傷だろう。と思うかもしれないが、やはり、授業に出ながら、バイトしながら、映画見にいきながら、本を買いながら、酒を買いながら、それでもなお「映像」ではなく「映画」を作れたのは身近に8mmフィルムがあったのは絶対に大きかったと思う。
フィルムをZC-1000に装填し、アングルをきめ、距離を測り、ピントを取り、絞りを調節し、合図を出す。そんな儀式が重要だった。その儀式の重要性と煩わしさを知っていたからこそ、後にDVを使ってDVでしかできないことをやろうという気にもなったのだ。
と、なんだかやっぱり年寄の文句みたいになってしまった。とりあえずコダックsuper8(世界的にはこっちの方がメジャーだろう)はあることだし、8mmが死んだわけではないが、やはりひとつのなにかが死のうとしていることは確かだろう。