ロベール・ブレッソン『田舎司祭の日記』フランス、1950年 をビデオで

この「純粋過ぎる」司祭の苦悩と孤独と呼応するかのようなフィルム。抑制された演出とドラマによって画面は暗闇に包まれるだろう。この禁欲的な映画を人間の顔が、恐ろしいほどまでに豊かで官能的なものにしている。少女たちの顔はエロティックでその視線はいつも何かを求めている、そして何よりも司祭の顔が一番官能的だろう。これは酒におぼれているのではなく苦悩におぼれている顔なのだろう。だから闇夜には、彼らはもはや体を失ってしまい、顔だけの存在となってぼうっと浮かび上がる。アクションなど一切不用。ただ顔が画面に浮かび上がってくるだけで良い。いつもの言い方をすれば顔があれば映画は出来る。
もう一つの要素は足音だろう。足音の響く聖堂をはじめこのフィルムのシチュエーションはどこも足音が孤高にも響き渡る。もはや肉体はその画面に刻印されていなくてもその艶かしい足音によって感情的に存在を誇示する。
顔と足音があれば映画は出来る。

田舎司祭の日記 [DVD]

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