大谷健太郎『avec mon mari』

一見、私の大好きなユスターシュの『ママと娼婦』みたいな徹底して「言葉」のみで語る類の作品に思えて、見終わった瞬間実はそうではないなと思いました。
登場人物の本音と建前というか隠していること無意識のことなんかを上手く捉えていると思います。
なんというか、ユスターシュとは「言葉」に対する考え方が根本的に逆なような気がしました。
ところで、人のこと言えない、いや、むしろ私だから言えるのかもしれないが(以前ワンシーンワンカットの「似非リアリズム」作品を作ったことがある)、こういうスタイルの作品ってやっぱり解せないんですよ。音が。視覚的な情報というのは視界の中のものから人間が勝手に取捨選択していて、それは映画を見る場合もそうなんですけど、音に関しても人間はそうしているんですね。でも、それが録音されたものになると「いらない音」と「いる音」が均質化されて普段は聞こえないはずの雑音がはっきりと意識されるんですね。そういうことを敢えて意識させるスタイルもありますし、それは実験的で面白いですが、この作品はそういう内容じゃないと思うんですね。ただ、この四角関係という設定に「似非リアリズム」の手法である種の説得力を持たせることには成功していると思いますが…
それが逆に音声からだけでは汲み取れない機微をたった数コマの画面がそれをぎりぎりのところで捉えていて、逆説的ですがそこがこの作品の魅力のような気がします。
私としてはこの手のスタイルへの価値判断がいまだに出来ないでいます。それだけにより気になるんですけどね。
まぁ、予算や技術が足りないといえばそれまでなんですけど。
とらばいゆ』はまだ観てませんが、そのあたりのことはどういった感じになっているのだろうか。