神代辰巳『宵待草』

脚本はゴジこと長谷川和彦
本当に楽しい作品でした。最近見た旧作の中では一番面白かったかも。「大正時代を舞台に若いアナーキストたちが無軌道に生きる」みたいな作品なんですけど、その枠にはおさまりきらないといったら陳腐ないいかただけど、そうとしか言いようがない。青春映画の傑作でしょう。
とくに中盤以降、所謂「旧ドリカム構成」になり、逃亡の旅になってくるとゴダールの『はなればなれに』なんかを彷彿とさせて楽しい。人の死に方も私はゴダールっぽいと思いましたね。憲兵サイドカーを奪うシーンとか。ほかにも気球が崩れ落ちるシーンなどは、まさに戦慄すべきシーンでした。何か大きな物が落下するという映像のメタファーは少し分析してみる価値があるかもしれない。鈴木清順陽炎座』の舞台が崩れ落ちるシーンの戦慄も忘れがたい。
もともと、鈴木清順の『陽炎座』みたいな大正の意匠は個人的に好みなので、つかみも十分だったし。この時代って和洋折衷のバランスが絶妙ですよね。
音楽も何やら素っ頓狂な感じでいいなぁと思っていたら、エンドクレジットで「音楽 細野春臣」と。なぁるほど。
しかし、舞台は大正であっても昭和であっても、そして大正のアナーキストであっても学生運動の徒であっても要は一緒なんだなと再確認しました。
そもそもこういう「作品」っていうのはたいてい不良を美化しますよね。そしていつの時代も一昔前の「不良」「アウトロー」懐かしむのって、何なんでしょうね、「あのころの不良はもっと○○だった・・・」って。私もその気持ちなんとなくわかりますけど。過去のものになった時点でやはりフィクション化されて、「自由な精神」と「若さ」の象徴として常套句として、使い易いからでしょうか。