ラリー&アンディー・ウォシャウスキー『マトリックス・リローデッド』@三宮東映プラザ

前作よりも面白かったです。なんと言うか「映画」的には如何なものかと思ってしまうような、センスの欠如も未だみうけられます。冒頭でいきなり開き直ったかのように『功殻機動隊』の冒頭のシーンが「引用」されているのにはさすがに面食らってしまいました。しかもそのシーンは物語上重要なシーンで、後半に繰り返されるものです。前作ではそのあたりのオマージュの嵐にちょっとゲンナリしたのですが、その辺はもう慣れました。映像表現的なことに文句を言い出したらそれで終わってしまいそうだし。そうなっては、この作品がいかに重要な作品かということが見えなくなってしまうので。「シネフィル」的な文脈とは違う文脈の作品であることは当然でしょうから、目をつぶります。それにしてもやっぱりダサいよ。あのビジュアルは。
そんなことよりもこの作品がSFというスタイルが未だに社会批判としての力を失っていないことを示している、ということの方が遥かに重要でしょう。何だかSF漬けだった高校時代が甦ってきそうです。
まさにこの作品は「システム」の映画といえる。この作品を観て絵空事のエンタテインメントとして、能天気に喜ぶ人は鈍感ですよ。この『〜リローデッド』で明かされたマトリックスのシステムとは、コンピュータ、プログラムの用語(あまり詳しくないので識者の方、解説希望。)を比喩につかって私たちがいるこの世界、とりわけ高度資本主義社会である「先進国」のありかたそのものを描写しているのです。我々は「何でも自由に選択できる」管理社会に生きているといえるかもしれません。例えばこのはてなダイアリーにしてもそうです。好きに何でも書いて良いわけですが、ここに書かれた「情報」は自動的にキーワードにリンクをつけ、似たような嗜好のサイトを教えてくれたり、気になるキーワードを過去に誰が使用したかを調べることも出来ます。これは非常に便利ですよね。膨大な数のサイトから自力で一個一個調べ上げるのは事実上不可能なわけですから、こうして、与えられた選択肢から「選択」しているわけですよ。Amazonなどもまさにそういうシステムですよね。ネット上だけではなく、顧客管理とかは資本主義社会にとって、当たり前のことでしょう。
これを「管理」と呼ばずになんと呼ぶのでしょうか。
でこうしたとき、従来の「管理化社会」と言うSF的なイメージから、「それはいけないことだ。」と反射的に思ってしまいますよね。
私も漠然と直感的に「これはまずいんじゃないか」と思わなくはないですが、では一体何が悪いのかといえばまだちょっと分かりかねているのというのが正直なところです。押井守の批判の焦点もたしか、マトリックス世界を半ば無条件に「悪」だとしてしまっている点だったような気がします。
何事からも「自由である」ということは凄くしんどいことだと思いますし、人間の文明はしんどさを解消してきた歴史とも言える。そうすると自由のしんどさを逃れるシステムを作るのは当然の成り行きであるように思われます。つまりネオたちがマトリックスと戦う理由がいまいち見えてこなかったわけです。管理されているから戦うとしか。が、それもマトリックスの範疇だということが次第にわかってくる。これってSFにはありがちな入れ子構造ですが、これはやはり恐ろしいですよ。お釈迦様の手のひらの上の孫悟空みたいなものです。
しかし、それにしてもマトリックス世界ではないザイオン(ジオンとスペルが一緒!)等の描写がことごとく府抜けてて、まったくリアルではないとうのは問題でしょう。「リアル」なものをすべてマトリックス世界に還元してしまったのち、そうではない「現実」をどう描くか、もう少し考えられなかったのでしょうか、「滅びの未来」的な意匠まんまなんですけど。
さて、マトリックスがなにであるか、設計者まで登場して一応の解説がなされた今作(ここでこの設計者と戦うとかなっていたら、まるでGBの『SAGA』みたいですね。)ですが、更に現実世界にもやはり機械はあるし、管理もあるということをほのめかしていたような気がします。
で、重要なのは実は「選択」ではなくその「目的」「理由」といわれていましたが、それはどうなのでしょう。目的論的な世界観って。目的なしに生きてはならぬということでしょうか。
とにかく、マトリックスが何かを明らかにした今作。それをどう乗り越えるのか。結構大風呂敷を広げてしまったような気がするのですが、どう決着をつけるのか、11月公開の『マトリックス・レボリューションズ』これは要注目でしょう。救世主自体もマトリックスの範疇というはなしって、SF的にリアルですが神話的でもありますよね。このあと、神話的な大団円に回収されてしまうような危惧も感じられますね。本当にそうなってしまったら残念です。
あと、その後を受けるように来年公開される押井守の『イノセンス』もとても気になります。マトリックス後の地平をどう開くのだろうか。
テーマを「リアル」に据えつつも、非現実的な映像技術を駆使するという逆説的な手法を取る2人(あ、3人か)から目がはなせそうにありません。