アレハンドロ・アメナーバル『アザーズ』2001年・アメリカ/スペイン/フランス

※ネタバレあり
個人的な好みとして、鈴木清順の『陽炎座』みたいな「大正モダン」と呼ばれるようなものや、ティム・バートン作品やこの作品のような「ゴシック」な意匠に対するフェティッシュな意識があるので、その時点でやや作品への評価に+αがあるかと思うんですが。
まぁそれをともかくとして、「ドア」のつかい方が非常にうまい。序盤でグレース(ニコール・キッドマン)が新しく来たメイドに子供たちが光アレルギーなので、ドアを一個ずつしか開けてはいけないことやカーテンを閉めたままにすることを強調し、それに目がいく。そのドアやカーテンがクライマックスでは全て開け放たれるというコントラストはうまい。まさにドアとカーテンの映画であるといっても良い。通常ドアというものは異なる場所への入り口として、ポジティブなメタファーとしてつかわれることが多いと思う(「どこでもドア」なんてのはその最たる例だ「どこでも窓」が数回しか登場しなかったのは当然である。)が、この作品では「侵入者」の存在や子供たちに危害を加える「光」の進入を意味する。両者ともに間接的にしか存在を確認できないものを示す装置である。
全体的には、雰囲気というか映画内の空気を作り出すのはうまかった、前述した子供の光アレルギーという前提条件をもとに精神的密室状態を作り出し、外には迷いの森のようないつもきりのかかっている森。フェティッシュな設定がうまく物語に機能していて、上品に仕上がっているとは思う。
が、出生して死んだと思われた夫が帰ってくるところから私は少し腑に落ちないものを感じ始めた。家の中にいる「侵入者」よりも我々にとって、彼こそ侵入者である。彼は常に死体の持っているような雰囲気を帯びていて、それは後に確認されるが…。まぁ、つまり「謎解き」「ネタ明かし」の部分が少し下品だったかな。と。オチの実は自分たちこそ死んだ「幽霊」で「侵入者」は現世でこの家に越してきた家族だった。というものは、まぁ面白いというか所謂「どんでん返し」というものなのだが、そこへの畳み掛け方が、少し早足過ぎたように感じる。もっとじっくり見せても良かったのではないだろうか。
…とは言うもののこの作品なかなかの良作です。久しぶりに老舗のレストランでいい料理を食べて、いい酒も飲み、腹八分目でご馳走さまという感じ。悪くないです。