ロバート・ゼメキス『ホワット・ライズ・ビニース』2000年・アメリカ

※ネタバレあり
バック・トゥ・ザ・フューチャー』シリーズは我々の世代の多聞に漏れず、幼いときに好きだった映画ベストxに入るんですがねぇ。(他はやはり『ロボコップ』。高校生のとき、『トータル・リコール』を観てヴァーホーヴェンを知ったときの喜び!)
この作品は監督自身が明言している通りヒッチコックへのオマージュになっている。が、ホラー・サスペンスをとる限りもうヒッチコックという名前は避けることは出来ないとおもう。
で、序盤はまだ良かった。まさにヒッチコックの『裏窓』そのまんま、オマージュや影響以上のもうリメイクの域にまで達するほどの徹底ぶりで、隣家で「起きたかもしれない殺人事件」を追及する。で、その殺された妻の「幽霊」が私に助けを求めている!というくだり。さらに実は「殺しはなかった」という『裏窓』の「ありえたかもしれない」もう一つの結末の再現。ここまでは、まぁ上品で気持ち良く観れました。マクガフィンとして「ドア」もきちんと機能していたと思います。中盤もキューブリックの『シャイニング』を思わせる、パソコンへの文字列など、そういうホラー史的な目配せはまあよしとしますよ。
でも、それまでは現れたにしても主観ショットであり、結局妄想なのか、本当にいるのかわからない曖昧な不確定な存在だった「幽霊」を実際にフレームの中に映し出すのは如何なものかと思う。これが、M・ナイト・シャマランの『サイン』くらい徹底して突き抜けたものだったら、「ほんまに宇宙人来たんかい!」くらいのものだったら大いに結構なんですが、この作品の場合如何なものかと思います。私が「幽霊」を信じるか信じないかという問題ではない。「幽霊」そのものを出す映画があって一向に構わないし、むしろ好きですが、あまりにもこの作品に出てくる「幽霊」はご都合主義だし、第一ヒッチコックを明言しておきながら、私はヒッチコックなら「幽霊」をこのように取り扱わなかったと断言できます。『鳥』のように「なぜ襲ってくるのかわからない」恐怖みたいなのはあります、同様に「何が襲ってくるのかわからない」恐怖もありですが、それを某の「幽霊」と名づけ、認識してしまっては、もうそれは恐怖ではなくただの脅威である。私はもっと妻の過去=記憶の方に掘り下げていって、フラッシュバックした記憶が幽霊として現れているのかと思ってました。ヒッチコックへのオマージュといってしまうのなら、最後上品に仕上げて欲しかったものです。これならば小津安二郎を意識した伊丹十三の『お葬式』のほうがよっぽど上品ですよ。