青山真治『EUREKA』2000年/日本

この映画には影がない。このことを額面どおり彼らには「生」の実感がない、もしくはバスジャック以来奪われてしまったからだ。ということは簡単だが果たしてそれだけが理由だろうか。と思ってしまうところがある。ラストのまったくもって唐突にカラーになるシーンですら彼らに影がないからである。実はもちろんこの作品にも影はあって、それを意識させるのは夜にバスの寝床で、3人が壁をノックして合図を送り合う場面、クライマックスの海岸で、ばったりと倒れた梢(宮崎あおい)に沢井(役所広司)が寄る場面と、「死んだ」両親の墓である。影が明らかに意識される場面はストーリー上重要な場面であることは間違いないが、海の場面は偶然のような気もする。次のショットではまた影がなくなっているからである。それでも両親の「墓」には影が、というより光のあたっていない部分があるし、バスの中で合図を送り合うシーンでは3人の体と顔の上に鮮やかに影は映る。やはりどれも人物の陰ではない。
それでも、最初のシーンから圧倒的な画面の強度はあって、バスジャックのバス、マイクロバス関係なく、所謂「ファントム・ライド」のショットは純粋に素晴らしく。後半におなじ道をファントム・ライドで撮影した瞬間は物語的な反復よりも、純粋に映像的反復そのものに唸った。
秋彦のキャラクター造型には少々疑問が残る。「東京弁」をしゃべることで他の人物と異化させようとしたのはわかるが、東京人ではない私にはその「異化」そのものにどうしても注意が行きはじめから「なんか嫌な奴」と言う印象が刻み付けられ、そのまんまという感じでほかの人物に比べて深みが感じられない。あと、彼が忘れていったカセットがジム・オルークというのも解せない。これは私が青山作品をどうしても愛せない理由である。例えば『Helpless』で、浅野忠信が舞台設定が1989年であるにもかかわらず1991年リリースのNIRVANA『NEVERMIND』のTシャツを着ているような、あざとさというか。当然彼がそういうことを知らないわけがないので、「わかってるけどやりました」というところがどうしても好きになれない。
おそらくこれは私が22歳だということと深くかかわりがあって、青山真治との遠すぎない世代間のリアリティの差が私をなんとなく嫌な感じにさせるのだろう。同世代か離れた世代ならばあまり気にならないのだろう。
それでも、よい作品を作る監督であることには違いないのだが…