和田豊の"意地"

日本シリーズが終了し1週間経ち、大分落ちついてきたといいたいところだが、どう考えても阪神よりは応援できない長嶋ジャパンや、小久保の問題、半分の球団が監督が代わること…、などいろいろ話題があるが、それを振り払い阪神タイガースの総括を一度やってみよう。
星野仙一のカリスマ性」。認めよう。確かに選手のモチベーションを高め維持させる、ことは大成功している。野村前監督でさえ成し得なかったことだ。選手たちの格変的な活躍による、奇跡的な優勝ではなく、どうして優勝したかはある程度説明はつくだろう。ダメ虎は催眠術にかかり、必至になって「頑張った」。シーズン中はこの采配、選手起用法は功を奏した。だが、短期決戦の日本シリーズでは裏目に出た。星野監督日本シリーズ向きの監督ではない。今日勝てば良い、今日は絶対に勝たなくてはならないという野球をしていなかったし、急にそうするとチームのバランスは崩れる。第六戦の先発に伊良部を起用したのは間違いだったと思うが、シーズンを貫いていた、理論を見ると正しい。だが、もう遅かった。すでに日本シリーズでは非日常の野球を強いられていた。濱中の起用などはまさにそれであり、来年以降をみこしたものである。やはり今年日本一にならねばならぬという気は感じられない。もっと良いオーダーがあったかもしれないが、そういうオーダーを組むことは星野が自己否定するということだ。結局星野は自らの美学を取った。ただそれだけの話。その答えが出るのは来年以降である。
ここからは、思い出話。古き良き、そして弱き時代の話。
かつて、我々のシーズンを通しての心の支えというのは球団初の生え抜き一億円プレイヤーであり、当時唯一の3割バッターであった和田豊、彼であった。オマリーは理不尽にヤクルトに放出され、亀山は罰金を払わされ、新庄は野球の才能が無いからサッカーに転向すると言い出す(そんな彼らももちろん愛しているが)。そんな中にあって、和田豊だけは常に職人的な安定感をもって我々関西の野球少年の手本を示しつづけた。天才的に、どんなたまでも流し打ちでライト前に落とし出塁。HRだけが野球の魅力ではないことを示した。85年に入団という物語的なことも含めて、和田豊とともに暗黒時代の阪神タイガースをみた。
引退後もコーチとして阪神に今も残っているわけだが、今年からはじめているインターネット上で公開している日記「虎の意地」(http://www.hanshintigers.jp/wada/)は、シーズン前から毎日のように更新されていた。それも、日本シリーズと今回のパレードで一段落といったところか。彼の日記を勝てにしていた阪神ファンは多いであろう。星野の言葉よりもファンの心には響くだろうし、歴史的な、物語的なものも含めて「重み」がある。
彼の日記を読んでいつも私は、漫画家の島本和彦が自らのサイト「島本和彦外伝」(http://urasima.lala.or.jp/sima/)で書いている日記の文章に近いものを感じていた。中間管理職的なポジションながら、板ばさみになっているような気配を感じさせず、両者に気を配る姿勢が伺え、あまり技術論的な話は、読む側のことも考えてか、していない。ただ、プロとしての試合に臨む姿勢。メンタルコンディションの持ってゆき方などは、非常に面白く、そのあたりが島本和彦を私に連想させたのだろう。和田豊に「炎のコーチ」などというニックネームは似ても似つかないだろうが、自律的な熱血感がそう思わせる。このメンタルコントロール和田豊の打率3割を支えていたのは間違いあるまい。
ともかく、和田豊とは一生付き合っていくことになりそうだ。いつか阪神の監督になる日も来るのではないか。今はとりあえずリーグ優勝おめでとう。1年間お疲れさま。この怒涛のシーズンにおいて、前試合日記を記したことにただただ畏敬の念を覚える。本人は楽しんでいたようだし、我々も楽しんだ。こんなに長く野球を楽しめたシーズンは無かった。これで、幼心に焼き付いていた西武との日本シリーズも消え去るだろう。か?