藤田敏八『リボルバー』1988年/日本・にっかつ をビデオで

初めて藤田作品を観たのだが、今観た後でこれが遺作だということを知った。だからどうということはないが。たまたま録画したあったのがこれというだけ。チャンネルNECOではロマンポルノ作品をやらないので…。是非深夜にでもロマンポルノ作品をやってもらいたいものだ。
物語的に一丁の「リボルバー」をめぐって本来出会うはずのない人々、事件が重なり合うというのが、どうしてもロベール・ブレッソンの『ラルジャン』を思い起こしてしまうのだが、それは意味のない作業だろう。
この作品で藤田敏八は何を撮ったのかというと、鹿児島〜札幌の距離を無に帰してしまうような距離感。そのくせ鹿児島、桜島の降灰の描写などは妙に丁寧で、鹿児島という土地、空間をつぶさに見つめていて札幌さえも鹿児島の隣街にさえ見える。と、いうよりも駅名、地名などの個有名が度々登場するにもかかわらず、映し出される風景はどれも匿名の、一般名詞の街にみえる。
ロラン・バルトがテクストは言語による織物だといっていたが、これはまさに織物のような映画で、特定の糸を強く張りすぎたり、同時に弱く張りすぎたりもしていなく、それを実現させている構成。それと前述の土地の匿名性とがあいまって、空虚な感じ、無気力な感じが伝わってくる。
そのとおり、登場人物の誰もが無気力、腺病質な描かれ方をしていて、競輪で生計を立て行ったり来たりしているおっさんの二人組みが一番生き生きと楽しく見える。それでも彼らもニヒルなまでに楽観的で、流れ弾に当たってすら、「ツキが回ってくる」と喜ぶのだった。
私はこういう映画は好きではない。勘では村上春樹*1とかが好きな人には受けそうな気がするが、村上春樹は私は大っ嫌いで、私は大江健三郎派である。

*1:実は高校のの大先輩