小沼勝『偽りの花嫁 わたしの父を奪らないで!』(テレビドラマ)1982年/日本 をテレビで

脚本は神代辰巳
テレビ大阪や、ABCなどで昔のテレビのサスペンスの再放送を何の前触れも無くやることがしばしばある。数年前の年末か年始か忘れたが、神代辰巳が監督した『死角関係』というのを偶然観て、内容は石橋蓮司酒井和歌子森本レオ戸川純両夫婦、もともと連司とレオが友人で隣同士に住んでいて、ある日蓮司が無実の罪で捕まり、レオが酒井和歌子とその息子の世話をしている。(中略)実は酒井に惚れていたレオが蓮司を陥れていた。というオチ。内容は少し定かではないのだが、驚愕したのが序盤での、あるシーン。酒井和歌子と息子がプロレスごっこをしているのだが、それがどう観ても濡れ場を意識して撮られており、手持ちキャメラでダイナミックに収められていく。そのシーンに切り返しの様なかたちで、台所に立ち炊事をしながら、酒井に話をするレオ。当時神代もなにも知らずたまたま深夜にチャンネルを合わせた画面に釘付け。ほぼ最初からだが途中から観たので、まさに交通事故にあったような感じで、最後まで観ると、クレジットに「監督 神代辰巳」。完全に神代辰巳という名前を覚えた。
閑話休題
小沼勝は先日、東梅田日活に行ったとき(id:miro_41:20040116)にはじめて観たのだが(『昼下りの情事 古都曼荼羅』)、そのときはあまり良い印象は受けず、バイト明けでそのまま行った疲れもあって、途中退席。
序盤に階段から落ちて、大場久美子が足を骨折するところから、物語は本格的に動き出すのだが、その足の引きずり方が印象的で、とくに後に結婚することとなる継母のいとこと海へ行ったときの足の動きなどは絶品で、私はてっきり大場久美子の足を最後までモチーフにして行くのかと思ったほどだったが、さすがにいつのまにか治ってしまった。
この作品はダグラス・サーク、特にカラーになってからの作品を意識して作られている。大場久美子が自分の部屋のある二階と、食堂、父親の部屋、庭のある一回との往復に現れる階段の使い方(「金持ちの家」と言う設定が階段という欧米の映画には欠かせない舞台装置の存在にリアリティを持たせている。小津映画に出てくるような階段ではこのようなシーンは決して撮れない。原作はシェリー・スミスという人物でミステリー作家らしい。)や、とりわけ終盤でのおそらくはお手伝いに車のブレーキを壊されていて、事故に遭った後、病院のベッドで目を覚ますシーン。黒幕であろうことがほぼ判明した夫には、緑色の光が当たる。その病室のベッドの脇のテーブルには、緑色のライトスタンドがあるのだ。さらにその後病室を抜け出すシーンで、影だけで姿を現す夫。光と影の使い方はまさしくそれだろう。
序盤で、継母の存在感を我々に与えるのは、その「妖しい美貌」などではなく、部屋の調度品を総入れ替えすることによってである。その色彩の一種毒々しい使い方は、まさにカラー映画が登場したての頃のような毒々しい原色ばかりで、まさにサークが家にやってきたということを表している。
消化不良な複線が数個あって、大場久美子の夫と関係があったお手伝いや、最も怪しいと勝手に思ってしまった精神科医やくの石橋蓮司(本当に怪しい。奇妙な長髪に眼鏡、変なヒゲ。おまけに大場久美子のモノローグも「突然変な男が訪ねてきた…」)。個性的過ぎて、凄く気になったものの、ワンシーンのみの登場。何だったのだろうか。面白かったが。これらの複線は結局関係無しとも、関係ありともつかぬまま終わってしまう。
この話の要は、結局のところ大場久美子と父親役の池部良との近親相姦的な感情なのだが、それにまとわりつくように様々な性の交錯、新たな縁談で出来た、血縁の無い擬似家族内での擬似近親相姦。それに嫌悪を催した大場久美子が、純粋な近親相姦を求めていたのである。
そして感慨深い最後の台詞のやりとり、「お父さんも、普通のくたびれた男だとわかった。」「君もやっと大人になったね。」「でも…、大人になんてなりたくなかった。」
作品とは直接関係無いが、オープニングのクレジットで(音声は無いが)動いている小沼勝神代辰巳の映像があって、なんとなくうれしかった。