アルフレッド・ヒッチコック『疑惑の影』1942年/アメリカ

この作品でもまた、注目すべきは階段である。叔父に疑惑を抱き出した娘は、その無意識の意思表示として、屋内にある階段は使わずに、外階段を使い始める。これはヒッチコックの映画にあってはかなりイレギュラーなことである。しかし、その粗末な階段を使いつづけることをやめさせるかのように、叔父は階段に仕掛けをして娘を殺そうとする。そうして、次に娘が屋内の階段を上るとき、それは「ある決意」をしたときであり、そこを降りるときそれを宣言するのだろう。そして、忘れてはならないのが、叔父の疑惑に確信を持ったあと、何故か叔父とは違う人物が犯人に仕立て上げられ、事件は「解決」する、その直後階段を上る叔父を背中からキャメラが追いかけ、切り替えして階下で、それをみつめる娘の、あの美しいショットである。階段を降りる娘の指にはめられた指輪へのズームは、『汚名』におけるあの、イングリッド・バーグマンの手元の鍵への素晴らしいズームを予告しているかのようで、ため息が出る。
序盤の叔父がやってくるとわかる前の家庭でのシークェンス。雑多に家族のそれぞれが、めいめいに好き勝手なことをしゃべる。このシーンの演出の見事さというのはこの一見雑多なシーンが見事に構築されていて、同時に極めて経済的な人物紹介になっている点である。序盤の極めてスマートな人物、それまでの経緯の説明はヒッチコックの映画全てにいえることである。
前半の新聞というマクガフィンをめぐる一連のやり取りはやはりスリリングで、その果て最終的に図書館でその記事を調べる、新聞記事をつぶさに見せる、シーンは大変なカタルシスを持っていて、好奇心といういう原初的な欲望を素直に満たしてくれる。
見るからに「素敵な叔父様」であるチャーリーに魅せられていた同じ名前の娘、チャーリーだが、結局はもっと若い刑事と良い仲になってしまう。叔父への憧れがもっと現実的な刑事にシフトしたとき物語はもはや決着したかにみえる。しかし、叔父を手にかけたのはこの娘であり、彼女もまた罪を犯した。叔父を理解してしまったのである。そのことを最後の会話が物語っている。
この映画もまた、ヒッチコックの作品だ。と手放しに言うほか無い。