旅行記みたいなもの

自分の為に、備忘録的に。

  • 2月25日(水)―一日目

前日からのバイトも明け、そのまま一足早く集合場所へ。私が吸っているゴロワーズはおそらく旅先には無いので買いだめしようと思ったら、2箱しかないとのこと。しかたない。おにぎりを買ってバスに乗り込む。後ろに座っていた女二人の客が終始特撮ヒーローの話をしていて、ツッコミたくてしようが無い。特捜ロボジャンパーソンの着メロを自慢していた。
何個かトンネルを抜けると、そこは雪国だった。と言うほどの景色ではなったが、だんだんと雪景色と、人口密度の薄い人里。
高山駅につくと、そこは何のことは無い普通の街。それもそのはずここにも日常の生活は存在し、スカートの丈を短くした女子高生がうろうろしている。おそらくこのスカートの短さがステータスになるのだろう。エアロパーツをバリバリに装備した車でさえ、歩行者にきちんと道を譲っている。最初のカルチャーショック。土産物をアピールする大きな看板、名所案内の看板、が観光地であることを示している。
駅の近くの蕎麦屋へ。てんぷらざる蕎麦を食べたかったが、高いので普通のざる蕎麦に。ここの価格設定の高さが観光地特有の物価の高さなのか、本当に良いものだから高いのか分からない。が、蕎麦はうまかった。
「古い町並み」という名前の通りがあって、ここは出来た当時から「古い」町並みなのであろうとか思いながらぶらぶらする。やっと「観光地」に来たという感じ。どこで買ってもいっしょのようなものが、各々の店先で輝いている。都会とは違う消費の扇動。連れの一人が極度の下戸の癖に、酒蔵に利き酒に行きたいと言うので、「古い町並み」から少しはずれたところへ行く。だいたい小学校のときに行った社会見学で知っているような知識を担当の人から伺った後で、メインイベントの試飲。甘口だ。私は辛口の方が好きだなどとは口が裂けてもいえない。「ここの酒が日本一です」。神戸からきましたとは口が裂けてもいえない。灘の酒蔵まで原付で数分で行けるとはいえない。「豊年」という本醸造を一升買う。
一日目の宿は山下という民宿、囲炉裏端で飯を頂く。親父さんが挨拶のときに、ここでイランとの合作の映画を撮っていて、娘さんか誰かがかかわっていたとのこと。ビデオがあるから観てよ。とのこと。三國連太郎が来たとのこと。ああ、また私は三國連太郎とニアミスを果たした。『風の絨毯』という映画だった。帰ってきてから知ったのだが、監督はキアロスタミの盟友だとのこと。飯はたいそう美味かった。
部屋で、連れの一人が誕生日だったので、便乗して祝う。その後先のビデオを観ながら酒宴。誰も見ていない。そりゃそうだ。最初の方少し観たが、なかなか面白いのではないか。日本側のキャストがなにやら相米慎二を意識させる(工藤由貴、三國連太郎)し、キャメラもいきなり540°くらいパンさせて、「衝撃的」な事故から目を逸らしながら。それでもみつめている。面白くなかったらどうしようと思っていたが、安心した。
その後、あまり記憶は無い。それもそのはず、前日からバイトで一睡もしていなかったのだから。26:30からZガンダムの再放送を現地でやっていたのだが、観れずに寝る。

  • 2月26日(木)―二日目

皆よりも早く寝たので、早く目が覚める。6時半。と言うよりも寒さで目が覚めた。誰かが窓を開けっ放しにしていたようだし、朝になって気付いたのだが、私の布団は子供用だった。道理で風通しが良かったわけだ。朝ご飯も美味かった。米が美味い。早起きは三文の得と言うやつか。
この日は、飛騨合掌村というところへ。本物の世界遺産白川郷は時間的に遠すぎるので、断念。移築された合掌造りの家の並ぶ場所へ。観光地のものというのはこういうものだ。ケチャもドイツ人が観光用にアレンジさせたらしいと聞いたことがある。純粋さよりも、フィクションでも観やすく、楽しみやすく、周りに土産物屋とかがあったり、記念撮影できる雛壇があったりした方が、やはり良いのだろう。観光で成り立っている土地で、それを収入にし、そこで日常を生きている人々にとっては、純粋さよりも明日をいきる糧なのだろう。この旅行中、ここで育った子供はどういう道を歩んでいくのかが凄く気になった。たとえば観光案内所に座っている若い女の人とか、この日泊まった旅館の若い女将さんとか、ここを日常として生きている人たちにとって、絶えずやってくる。われわれのような異邦人とは、何者なのだろうか。すぐ側に非日常を満喫している我々のような人間が入れ替わり立ち代りやってくるような日常。
昼はラーメンを頂く。画に描いたような中華蕎麦。高山ラーメンも食べたかった。
この日の宿は「ひろし(漢字を忘れた)」。下呂温泉に舞台を移す。前日のいかにもな民宿とは打って変わり、旅館という趣。駅前から車で送迎してもらったのだが、運転していた女将さんが、ミッションのレバーを操作しながら、こぼれ話を矢継ぎ早にしてくれたのが面白かった。小さな橋にの真中にチャップリンの像が何故かあって、その裏話をしてもらった。なんでも地元の映画人が下呂温泉を世界的にしようという意味をこめて作ったらしいのだが、事後になって、ハリウッド側から、980万円もの著作権料をふんだくられたらしい。恐ろしい話だ。別の一番大きな橋の歩道に地元の人の手形とメッセージがかかれたタイルが敷かれていたのだが、その一枚にミッキーマウスがあったのだが、それも大丈夫なのだろうか?ほかに「横浜中華街に修行に行きます」とかかれたタイルがあって、なんともいえない気持ちになった。飯前に風呂に浸かったら、飯時に遅刻してしまう。「最近の子は時間を守らない」と陰口をたたかれていたのを誰かが聞いたらしい。すみません。ここも飯が美味かった。「板さん」が料理の説明をしてくれる。この人にとっては、こんな大学生の卒業旅行の客でも、勝負の場なのであろう。無花果の原種が出ていて、これを最後に食べれば良かったと思った。
そのあと、何故か皆で「白い巨塔」を観る。始めてみたので流れも良く分からないのだが、石坂浩二の芝居はアリなのか。と思った。
その後ダラダラ四方山話。

  • 2月27日(金)―三日目(最終日)

朝飯も美味かった。朝から外湯に浸かりに行く箱蒸しというものがあって、面白かった。昼はどうやら有名らしい飯やで、とろろご飯を頂く。とろろの粘りが尋常ではなくて、端で掴めそうなほど。これも美味かった。壁に有名人の写真や色紙があって、田中邦衛を発見岐阜出身らしい。下呂から高山まで電車でもどる。こういうなんでも無い車窓からの風景が旅行なのだろう。
高山でお土産を購入して、大阪へ戻るバスへ。多さかに戻るにしたがって、看板の数が増えていく。
梅田着。人の歩くのが凄く早いのに驚く。私もこんなに速く歩いているのだろう。人が凄く多い。家へ帰る電車が10分に数本出ている。向こうでは一時間に一本だった。電車の中にも無数の広告が。2泊3日だったがしっかりと非日常の体験をして、帰ってきたのだと実感。異化された日常を観て、しっかりと旅行を私的たのだと実感した。いままで何度か「旅行」というものをしたが、場所を変えていつも通りのことをしたというだけだったのだと気付いた。私は初めて旅行したのだ。
最後にこの旅行の企画、運営をしてくれた幹事の方、お疲れ様でした。この通り、十分楽しみました。どうもありがとうございます。
以上、長文失礼。