押井守『.50 Woman』(オムニバス「キラーズ  KILLERS」より)2003年/日本 をビデオで

十数分のショートフィルム。時期から見ても『イノセンス』の合間に息抜きとして撮られたような印象を受ける。しかも筋は女スナイパーが「有名アニメスタジオ」の新作映画『隣の豚の動く城』の製作資金20億円を横領した容疑を掛けられている「自称映画プロデューサー鈴木敏夫」が検察の任意同行を拒否し「三鷹の森病院」に偽装入院しているところを狙撃するという、『イノセンス』の完成記者会見の2人の間合いやその他の予備知識があれば笑うにも笑えないような話である。まぁ取るにたらない作品であるといっても良い。どう考えてもこの時期は『イノセンス』に全力投球していたはずであるし。内輪ネタではあるが「鈴木敏夫押井守監督の映画で撃ち殺される」というだけで個人的にはかなり面白い。
しかし、『紅い眼鏡』についての文章(2004/3/32004/3/5)の繰り返しになるが、押井守フィルモグラフィーとして観れば、それなりに見所がないわけでもない。
この作品を観て一発で分かるというか、ほぼそれだけの作品であるといっても良いほどであるこの映画の要素、それは「食」である。今年の初め(2004/1/23)に一度押井守における「食」について少し言及してほったらかしになっていたのだが、この作品が一番それについて分かりやすいだろう(『アヴァロン』にも特筆すべき「食」のシーンがあるのだが、まだちゃんと観なおしていないので次の機会に)。女性スナイパーは位置についた後狙撃銃の組み立てをディテール細かに描写したあと(これももちろん押井守の徴だろうここまで細かく銃の組みたてを描写している映画はそうない)、ターゲットである鈴木敏夫が病院の建物から出てくるまでの間、ずっとコンビニ(コンビニというキーワードでも押井守の作品についてかなり語れるがそれはまたの機会に)のパンやおにぎり、ミネラルウォーターをこれでもかというくらい口にする。この作品の大半はその食べ物のディテール、商品名、メーカー、値段のタイトルが実名でその都度挿入され、口にしてはそれの繰り返しが延々と続き、エンディングではそれらすべての品物がスタッフロールのように流れる(パン類11個、おにぎり7個、ミネラルウォーター4種類、そして最後には「小計¥3169、消費税¥158、合計¥3327、総熱量4953kcal」とでる!)まぁ、これはギャグだろうが、この作品は実は食べ物とそれを食べることがテーマであることをあからさまに告げているのである。そして最も注目すべきは主人公の女性がそれらを食べる描写である。大きくそれらを頬張りながら(口の動きを異常なまでにキャメラは捉えつづける)、その音はかなり強調されてクチャクチャ、モグモグと音を立てている。ほとんど全篇その描写に尽きるといってもよい。そしてそれらの間にインサートされるモニターから流れるダイエット器具のテレビショッピングの映像。そしてそのイマージュの連続の果てに映し出されるのは鈴木敏夫の頭が破裂するそれだ(『プレミア』誌にて、楽しんで人を殺すのはこの映画が最初で最後と押井が述べていた)。まぁ単純に考えて、ラストの「死」と「性」と同じくらい「生」を示す「食」との対比、それに挿入されるダイエットという両者を結ぶかのような矛盾を孕む行為と読むことも可能だが、そこまでする気力が出る作品では正直ない。『イノセンス』において登場人物が物を口にするシーンといえば全作とまったく同じくビールを飲むシーンのみであり、例外として犬の生活描写の一部として餌を食べるシーンがある、これは特筆すべきだろう。犬に最も身体性が備わっている。で、そういう作品を作っていることに対する憂さ晴らしというか、押井守なりのバランスを取る行為としてこの作品はあるのではないだろうか。
ほんの十数分の作品に結構書いてしまったが、この文章から期待して観るとおそらく大したことないと思うであろうので、その点は責任は持てない。
とこれで、『アヴァロン』といい、この作品といい、「食」の描写にはいつもヤン・シュヴァンクマイエルを想起すると何度も書いてきたが、そのことについて触れられているものをいままで見聞きしたことがない。押井守はおそらく観ているとは思うのだが。
ちなみに、いまさらネタ明かしだが、押井守における「食」のキーワードに注目し始めたきっかけは実は本人の弁からで、それはスタンリー・キューブリックの『2001年宇宙の旅 新世紀特別版』のパンフレットに寄せられている押井守の「僕は映画の中の食事のシーンが大好きです。」と書き出されるエッセー『人類は何を食べてきたか』を読んでのことであったのだ(内容は『2001年〜』がSF映画としては異例とも言えるくらい食事シーンの多さとそれへの執着の指摘であった。すべてが不味そうである。と。この「不味そう」と言う指摘は今思えばヤンのそれも同様に徹底して「不味そう」である)。
それと、とくに「食」を強調しているシーンが観られる作品が軒並み実写作品であるということはポイントであろう。やはり実写の持つ身体性を意識していると思われる。