金子修介『ガメラ2 レギオン襲来』1996年/日本 をビデオで

観たタイミングの所為もあるだろうが、自衛隊こと日本国軍の扱いが気になってしようがない。例えば小さいレギオンの描写などをみても、この作品の一年後に作られることになる、ポール・ヴァーホーヴェンの『スターシップ・トゥルーパーズ』を彷彿とさせるが、それに対峙する組織=軍隊の扱いがまるで正反対である。『スターシップ〜』を観ても軍に入りたいと思うものはまず無いであろうが、この作品を観て自衛隊に入隊した者はゼロではないだろう。ともするとイラクに行った者もいるかもしれない。少しナイーブな言い方になってしまったが、私の態度として、未だこの場でも昨今の件についても態度を明らかにしていなかったし、これからも具体的なジャッジを表明するつもりはないのだが、この作品にも少なからず、この作品が極めて魅力的であるが故に、イラク云々の是非は別にしても、責任はあるのではないかと考えてしまう。
金子修介が大学時代からの後輩である点や、脚本が伊藤和典であることからどうしてもそこには押井守という名前が見え隠れしてしまうし、この「平成ガメラシリーズ」の制作時期から見て『機動警察パトレイバー2 the Movie』が公開された直後でもあることからも考えて、やはり金子修介は意識していると考えざる得ない。とするとこの映画から感じられるのは押井的な自衛隊(的なもの・意匠、フィクションとしての軍・兵器)への憧れである。無論押井ししても批判されるべき点はあるかもしれないが、現在の問題としてそれに取り組んだ結果も著しているのは作品を観ればあきらかであろう。金子修介は極論してしまえば、戦争映画を撮りたかったのだろう。問題は自衛隊が相手にしている者こそがこの作品自体としての、フィクションである「怪獣」と言う存在であるのだ。このフィクションは押井守が相手にしているフィクションとは異質のものである。
樋口真嗣の特撮は前作に引き続きとてもよい仕事をしていることは方々で散々言われているとおりで、素晴らしい。1で特に強く思ったのだが、近頃の特撮では稀有な「なにかでかいモノがいる!」と言う感じが怪獣が登場する最初のカットからみなぎっているのだ。アクションのセンスよりもまず、そちらが素晴らしいと思う。怪獣デザインの細やかさ、生々しい質感と照明の仕事。確かに素晴らしい(話は変わるが今オンエア中の今川泰宏による『鉄人28号』にも最初の登場シーンから鉄人や他のロボットたちの「でかさ」が素晴らしく表現できている。また、こちらの場合兵器の「業」とでもいおうか、ただ無反省にカッコイイものとしては登場していない。この話題については区切りの良いときに。)。
1も面白かったが、2はより面白かった。だが、この「面白さ」がどうも観終わった後に釈然としないところがあるのだ。ラストで「ガメラの敵にはまわりたくないわね」と殊勝にも述べるが、すでに我々はガメラの敵足り得ているのではないか、と思ってしまう。それは50年前にすでに、同じ"G"であるゴジラがそう言っているではないか。
もちろん3も録画してあるので観るが。