クエンティン・タランティーノ『キル・ビルVol.2』2004年/アメリカ @MOVIX六甲

去年Vol.1を観たときに評価を保留にしていたのだが、保留にしておいてよかったというか、やはりこのVol.2まで観なければ私には評価出来なかったのだ。やはり1本の映画を2本に無理矢理分けてしまったのだろう。Vol.1、Vol.2ではなくて上、下だろう。だから、私は1本の映画として『キル・ビル』を観たい。
まぁ、そのことについてはこの辺でおいておくとして。
常に「ブライド」の顔は汚れていないといけない。血にまみれ、泥にまみれ、唾をかけられ、涙に濡れ。そういう意味で、「毒ヘビ暗殺団」の中で唯一顔の汚れていたバドが、ああいう末路をたどったのはその理にかなっている。バドは幾らかブライドに近かったのだ。それとは別に私は『レザボア・ドッグス』以来、マイケル・マドセンの哀しそうな目が大好きなので、彼が出てきて哀しそうな目で銃を構えると「参った」となってしまうのだが、ビルの愛すべき弟という役回りからして、タランティーノの何かを感じる。
タランティーノがこの作品ででリスペクトしているものを全て観ているわけではもちろん無いのだが、梶芽衣子の作品群などを観ても、必ず印象に残るのは目をつぶすという攻撃である。『修羅雪姫 怨み恋歌』では警部が結局両目を潰されたし、『女囚さそり』でも看守が目を潰されている。Vol.1を観て、雑魚へはともかく、主要なキャラクターに対して、何故目を潰さないのかと思っていたのだが、これにとっていたのである。隻眼のエル・ドライバーの目をくりぬくために。目を潰されたのたうちまわる仇というのは復習劇では定番であろう。
細かいディテールを評価し出すと止まらなくなってしまうのこの辺りにしておこうかとも思うが、パイ・メイの章でのあのズームの使い方は見事だった。香港クンフー映画のそれだ。
章ごとに1本の映画、物語が成立してしまうようなこの贅沢かつバラバラな映画を貫いたのはやはり、ブライドの汚れた顔である。ここまでヒロインの顔が終始汚れる映画はそう無いであろう。このようなめまぐるしい意匠の交代の荒しを過ぎ去る昂揚感をもっと得るためにはやはり1本に纏めるのが吉であろう。私は1本の映画『キル・ビル』を傑作としたい。