ポール・ヴァーホーヴェン『ロボコップ』1987年/アメリカ

やはりこの作品は個人的にも重要な名作である。一番はじめに好きになった映画のひとつであるが、見直すたびに発見がある。吹き替えで観ていた所為もあって(吹き替えも十分に楽しいし、字幕スーパーよりもむしろ良いのではないかとも思うが、質の悪い吹き替えは本当に最悪である)少しわかりづらかった面もあろうし、ただ、映画を観つつじつは画面を観ていなかったというのもあろう。
これはどう考えても「子供向け」の映画には思えない。いい意味で。宇宙刑事のようないでだちのロボット警官が大活躍という話では決して無い。これは戦争映画であり、復讐譚であり、スプラッターである。しょっぱなの主人公が殺される場面からして、強烈な印象を与える。片腕を吹き飛ばされたマーフィー(ピーター・ウェラー)の動きはもうすでにロボット化している。この肉体欠損はあらゆる意味を排し、あくまでも唯物論的に肉体を扱う前兆である。
それにしても、このマーフィーが殺されるところから、ロボコップとして復活するまでの大半をしめる主観ショットの見事な連続。これは実質上死者の主観ショットである。そして、ロボコップがはじめて我々の目に映るのは実はこの主観ショットの中である。彼の視界の片隅に映るモニターに自身の姿が一瞬映るのである。この瞬間までの一連のショットは、何度観ても戦慄する。興奮する。
これ以降の、『スターシップトゥルーパーズ』などにまで至る彼のフィルモグラフィーを十分に予感させるものである。例えば今回気付いたのはこの作品でもやはりシャワーを浴びるのは男女入り混じっている(厳密にはこの作品の場合、女性が着替えたりシャワーを浴びているシーンでも周りを普通にバスタオルを巻いた男がうろついているし、そのことが異常なことであるということを意味しているようには見受けられない)し、オムニ社のジョーンズを最初に逮捕しにいったあとに、警官隊に囲まれるシーンはまさに武装した集団、軍隊としての警察を感じさせる。まぁ、テレビCMに至っては言わずもがなである。私は個人的にはこの毒っ気のたっぷりあるテレビCMならびにテレビモニターに映し出される、悪意に満ちているとしか思えない映像凄く好みである。
そのテレビCMの一つでも車のCMに現れる恐竜という形で、使用されているが、もちろんメインはED209において使用されているストップモーションアニメはやはりここで触れておかなくてはなるまい。子供の頃観たときはそういう知識は無かったので、何か質感が違うがそれでも、はっきりとそこに存在する「もの」として、けっしてCGでは出せない感触を得たのを覚えていたが、それもそのはずで、無論他の背景とは合成ではあるが(その合成がむしろこの違和感を助長させて、厳密には遠近感が無意識のレベルで狂って何か変なものがいるという感じがいっそう増す。しかも登場していきなりオムニ社の社員を誤射して蜂の巣にしてしまうのだ)、実際にED209は存在して1コマずつ、その姿をフィルムに刻み付けているのだ。