ペドロ・コスタ『ヴァンダの部屋』2000年/ポルトガル・ドイツ・フランス @シネ・ヌーヴォ九条

ちょっと風邪が全身にまわっていて、苦しい状態なのだが、とりあえず記しておこう。
この作品における、映像の視線の主、ペドロ・コスタのまなざしは極めて厳格かつ、奔放である。近年見られる新しいリアリズムの作家群作品群の中にあって、この厳格なフレーミングは特筆すべきものであろう。「ドグマ95」のキャメラの前で事件が起こるのではなく、事件が起こる場所へキャメラが行かなくてはならないというテーゼ、誓の場合、その場合手持ちキャメラによって行われるのであるが、ペドロ・コスタの場合、固定されたキャメラで、人物が動こうが、フレームアウトしようが、じっと一個の切り取られた空間を見詰める。かといって、これは隠しカメラや監視カメラの様相は一切呈しておらず、かといって、出演者は全くキャメラを気にしていないという凄まじい空間が生まれている。思えば前作の、ストローブ=ユイレのドキュメンタリーから一貫したキャメラの存在感である。これはひとえに、ペドロ・コスタと被写体との信頼関係にあるのだろう。だからペドロ・コスタのフィルムとは、キャメラのこちらがわと向こう側の見えざる絆の記録であるといえよう。
もう一つ。音について触れなければならない。しばしば現れる、人物が不在の、やや長めのショット。そこにある、朽ちた木や、木の箱や、テレビや、家具、そして崩れゆく家々はアニミズム的な様相を呈し、登場人物たちをニュートラルな視線で見詰めている。これはちょうど、小津安二郎の『晩春』における寝室の壷や、石庭の石などと似ている。で、それらの画面のみならず、数多くの画面ではしばしば画面外から声や、音が聞こえてくる。そして、キャメラはその音の主に一切興味を引かれることなく、じっと一点を捉えつづける。
…ちょっと限界なので中断