三池崇史『極道恐怖大劇場 牛頭 GOZU』日本、2003年 をビデオで

ゴダールの特性として「遅刻すること」が挙げられる、と蓮實重彦は述べていたが*1三池崇史のそれはまさに対極で、早いことであろう。確かに、この物語の荒唐無稽さは無論脚本によるところが多いように思う。しかし、このようなまさに訳がわからない物語、例えばデイビッド・リンチのような、無粋者が精神分析で解き明かしたくなるような魅力を伴ったような、わけの解らなさとは異なる、現実の解らなさをそのまま写し取ったものとも異なる物語の側だけしか説明できまい。映像は実直に荒唐無稽な物語を語るのでは必ずしもなく、それとはまた別の逸脱を志向している。それが様々な場面で観られる、決して三池のオリジナルであるとは言えないような、ロングテイクや、荒い画像や、音声や、カット割りである。三池崇史は必ずしも上手い作家ではないが、面白い映画を作っていることは確かである。
三池崇史の「早さ」は、必要に迫られて上での身軽さと、瞬発力と、無意識と、潔い無反省ぶりとに結びつく。三池崇史が、早撮りと、多作とを止めるとき、必ず作品には深い変化が現れるのではないだろうか。
以上、作品を観なくても書けるようなことを連ねてしまったが、その理由はつまり、これを観た者としか共有出来ないであろうが、自分が観たままのことを言語化しようと格闘しつつも、なかなか相応しい言葉が出てこないからである。最近あまり三池作品を観ていなかったつけであろうか(『ゼブラーマン』くらいしか観ていない…)。
三池崇史の作家性を示すような、ショットはもちろん幾つもあるのだが、それを示して細部に分け入って語っても、無意味な気がするので、しばし黙ることにする。三池崇史とはひどく抽象的な作家である。

極道恐怖大劇場 牛頭 [DVD]

極道恐怖大劇場 牛頭 [DVD]

*1:ユリイカ」2002年5月号参照