ジェームズ・ホエール『フランケンシュタイン』アメリカ、1931年 をビデオで

これはほとんど私の趣味嗜好に近いものだが、はっとしたショットを2つ。
●「怪物」と少女が水辺で出会う直前、茂みの中を掻き分け進む「怪物」を背後から追いかけたショット。それまでは風車小屋の中だけの密室劇だった映画空間が、これらのシーンを境にパッと開ける。特にこのショットのなまなましさは、他の「美しい」スタジオでのそれとは違う。「文学的」な「怪物」が終始フィルムの中を悲しげに蠢く中、このショットに映る「怪物」だけが本物の「怪物」であるといってしまいたいほどである。
●その少女マリアが溺れ死に、父親がその死体を抱え街を進んでゆくショット。実はこの「生と死」をテーマにした映画にあって、きっちりと死が映し出されているのはここでの彼女の死体だけである。マリアの死体とそれを悲しむ父親に気付き、遠巻きにそれに反応を示す人々の態度に、同情と畏れがしっかりと演出されている。ここでの畏れは「怪物」に対してのそれではなく(ここではまだ怪物の存在は公にはなっていないのだし)、その少女の死そのものに対してである。やはりこのいきなり登場し、いきなり死んでしまい、死体として登場する彼女もまた、映画的怪物なのかもしれない。