チョン・ジェウン『子猫をお願い』韓国、2001年 をビデオで

冒頭、埠頭ではしゃぐ女子たち。この溌剌とした混沌でこの作品は傑作だろうと確信する。
そして優れたタイトルデザインと共にタイトルクレジットが進む中、ある女が携帯のメールを打つシーンではっとする。ハングル文字の変換にスティディウム(バルト)的な関心を引かれつつ、これは「韓国映画」なのだ、という素朴な事実に感心する(ゴダールが言ったように、ここでも韓国で作られたから「韓国映画」なのではない)。我々は良い映画を見ることによって、それが作られた国を知ることが出来る。それを越えた映画的魅力を知ることも出来る。
この映画のタイトルは『子猫をお願い』、いや原題の"TAKE CARE OF MY CAT"以外に考えられないほどのタイトルだ。最近ここまで優れたタイトルをそうは見ない。"MY"とは誰のことか、貧民窟のようなところに住む少女のことか、あれはやはり「誰か」の猫なのかということなどよりも遥かに"CARE"という単語が重要である("MY"などないほうが良かったかもしれない、そういう意味では邦題には「私の」と入っていない点で優れているといえるかもしれない)。この作品の中で一番この猫をCAREしているのはこのフィルム自身である。猫の視点を導入すること(ホラーの文脈で語るような「主観ショット」のことではない)が重要なのだ。まだこの猫が生まれてもいない、彼女等の高校生時代のショットにすら猫の気配を感じるのはその為だ。オフィスでコンタクトおとし地べたを這いずり回るのもその為だ。オートロックに締め出されて、庭に掘った穴で口論をする彼女らを新聞紙の上から見詰める視点もそうだ。崩れ去った家の屋根の残骸から呆然と立ち尽くす彼女を見詰める目もそうだ。韓国の生の風俗を新鮮な気持ちで見れた気がするのも、この無秩序な文化と貧富と学歴差別とあらゆる構造が見れた気がするのも、ひとえにこの為だ。
猫の視点で彼女らと、その世界の混沌を見詰める。なんと残酷で無秩序なことよ。そして実際のところ、彼女らは誰一人としてこの猫のことをCAREしてはいないのである。だからこのタイトルはこのフィルムが彼女らと私たちに「CAREしなさい」と告発しているのだ。そう考えると"MY"という一人称はこのフィルムの一人称のような気がしてくる。

子猫をお願い [DVD]

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