怠惰の罪

まずちょっとメタ的なことを書くと、最近意識的に無意識的に雑記的な文章、日記的な文章に[雑記]とカテゴライズせずに、投げっぱなしジャーマン状態で、つまりホールドせずに、記していたのだが、これでは日記本来の役目を果たせないではないか。日記とは自分が最大の読者なのに、自分が不便ではかなわない。もともとあとで読み返すのもナンなので、あえて付けないでおこうと思った部分もあったのだが、やはりこれからは付けておこう。
先日半年ぶりに例の仕事の件で学校へ。学校側とY.Y.側との往復をしている中で今回思ったのだが、この企画がかなり杜撰なものであるということ。これは感想ではなく事実だ。学校側は宣伝かなにかの一環としての考えが強いのではないか。担当の教授もそれとなくそれを思っているようだ(美学の教授である氏は、工事をしていないの見たことがないキャンパスの光景と、その計画にもかなり怒っている。名のある建築家の作である建物を次々にぶっ壊し、「学校建築」と呼ばれる似たような建物が次々に建ってゆく)。そういう宣伝の部分を全面的に否定する気はないが、「映像文化専修」なる専修を設けようとしている学校の振る舞いとしては下品極まりない。
打ち合わせが終わった後、居ないかな?と思っていたH先生と遭遇。握手した後、開口一番「『ランド・オブ・ザ・デッド』は観た?」、「もちろんです」、「なんというか、すごかったね〜」。
あとは、『宇宙戦争』の話とか、アルジェントの話とか。結局、ホラーはやっぱり偉大だ。ということ。
東京でラングを観てきた話をするとムルナウの方がレアだったので、そちらを観るべきだった。あれはなかなか観れないとのこと。しまった。
最近は誰かとこういう映画談義が出来る機会が激減しているのでテンションがあがってしまった。
また今度呑みましょう。
その晩は「某後輩」に召還してもらった面々と焼肉。カラオケ。の朝までコース。おかげで次の日のバイトは時々声が裏返る弱点つきのダンディーボイス。
グレッグ・イーガンの新刊購入

ディアスポラ (ハヤカワ文庫 SF)

ディアスポラ (ハヤカワ文庫 SF)

他には
ゴダール革命 (リュミエール叢書 37)

ゴダール革命 (リュミエール叢書 37)

映像の修辞学 (ちくま学芸文庫)

映像の修辞学 (ちくま学芸文庫)

とか購入。残り2冊は分りやすいチョイスだな。
早速イーガンにかかるべきだが今
ヴァリス (創元推理文庫)

ヴァリス (創元推理文庫)

を読んでいるので、この後ってことで。相変わらずの遅読で我ながら困る。他にもレヴィナスの新書数冊とか、ミラン・クンデラ数冊とか、阿部和重文庫本全部とか、読んでいるのだが、どうも読書記録をつけるのは怠ってしまう。
ディックのこれは読んでいて感覚として「マジでヤバイ」。当然読み始めたきっかけは阿部和重の『アメリカの夜』での言及なのだが、a silver mt. zionなんかを聞きながら読んでいると、本当に自分の頭が狂ったかのような錯覚(あくまでも錯覚である…)に襲われる。というのもこの内容というよりも、形式が狂気を催させるように仕組まれている、あるいはディック自身が書いている自分と書かれているものとを絶えず投射、フィードバックのハウリングを起こし、狂気を求めるという狂気の渦の中に、半ば能動的に、半ば不可避的に没入してしまっている。最近の偏頭痛(この数日は読んでいないので治まっている(?))の原因はこの『ヴァリス』ではないかと倒錯的に思ったりする。
しかしイーガンの新刊は、情報を見るにかなり難しいようだ。これまでのいわゆる「主観的宇宙論三部作」といわれる作品等は「文系SF読者」にも辛うじてついていけるだろうが、今回はきついのではないか、とのこと。でもがんばる!
ところで、その「主観的宇宙論三部作」のうち『順列都市』(ハヤカワSF)は現在出版社品切れ重版未定、他の2作品『宇宙消失』『万物理論』は大傑作なので、『順列都市』も読みたくなるのが当たり前だろうが。この機に重版するかと思っていたのだが、見事にスルー。帯のラインナップにも入っていない。何か事情があるのか?古本屋を見かけたらとりあえずまずそれを探しているのだが、なかなか見つからない。誰か見つけたら買っておいてください。
富野由悠季が12月からアニメ新作とのこと。地上波ではないようだ。バイストン・ウェルのようだ。オーラバトラーのようだ。Ζは出来あがっているのかしら。平行作業なのかしら。
長文をダラダラと書き連ねてしまった。気持ちいい。
明日店長に「辞める」と言わねば。