ルチオ・フルチ『ビヨンド』イタリア、1980年 をDVDで

予言書だとか、死者の復活だとか、60年前からの因縁だとか、そういう素敵な要素は置いておくとして、何とも単純明快な運動とその反復、というより反射が気持ちよい。
人は高いところに登れば落ちるに決まっているし、落ちたならば即座に血を吐いて死ぬに決まっている。単純明快。
主人公の女は他人には見えない何かを見、感じ、恐怖するが、他人は「何を言っているんだ」と言うのみ、そしてそんな彼女も盲目の女の言うことに対して同じ反応を示す。決して最期のカタルシスの瞬間まで、ホラー映画の登場人物は他人を理解してはならないのだ。このいささか独我論的な人間観とその批判がホラーの原点である。最初から他人とビジョンを共有してはならない(それとの逆をやっているが故の非ホラーでありながら、その地点から撃ち返すのがカーペンターであり、その批判の原点であり、最終形態がロメロであろうか)。この不寛容さ、ディスコミニュケーションこそが恐怖なのである。
それに加えて、彼ら彼女らは無知であることが重要である。ヒッチコックの登場人物が、ヒッチコック映画を観ていないとしか思えない行動をとるのと同じように、ここの人間たちもまた、ホラー映画など見たことがないかのように行動する。予言書を最後まできちんと読んでいたら、あのまさに光明とも言うべき光の中に走りこんで地獄をさまようなどという、眼も当てられないほど美しく、予定調和な大団円を迎えることは出来なかっただろう。ゾンビは頭以外撃っても意味が無いことを知っていたら、弾丸をあんなに無駄にすることもなかっただろう(『ランド・オブ・ザ・デッド』の登場人物たちは無論それを知っているわけで、そこが逆にゾンビから恐怖という単純な要素が剥奪され、ゾンビという存在がより複雑化され、もはやゾンビという全体に対する呼称が不可能になっている。もはや彼らは死者ではない)。だからこのフィルムの人間たちはまるで自動人形の様によく統制されて、叫び、血を流すわけだ。こういうことが怖いのだ。

ビヨンド 特別版 [DVD]

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